他人のことも考えて生きようが、自分のことだけ考えて生きようが、どっちでもいいやんけと思われるかもしれない。
いや、他人思いの方がふつうの見られ方としてはウケがいいのか?
でも僕は自分のことしか考えてない。
それは、自分勝手という意味合いも当然含むが、他人のために何かやる時自分の損得を常に考えるということである。
誰かを喜ばせようと思ってプレゼントをあげたり、親の言うことをちゃんと聞いたりすること。
例えばこれらは、一見他人のためを思った行動だと思われるかもしれない。
僕の場合は違う。
プレゼントをあげて喜ばせる自分が好きなのである。
親の言うことを聞いてあげる自分が好きなのだ。
結局、全部自分のため。自分の損得に基づいた行動、だと思ってる。
でもでも?
結果として他人のためになってるじゃないかい、と。
それなら他人のためを思って生きるのと何が違うのよ?と。そう思われるかもしれない。
ぶっちゃけ、自分のためだろうが他人のためであろうが、自分がしたいことをやるんならやることは一緒だ。
しかし、その2つには別の部分で明確な違いがあると思ってる。
それは、自分のためにしか行動しない場合、そもそもやりたくないこと、自分の利益にならないことはやらないという選択をするのに迷いが生じにくくなるということ、だと思う。
他人のためにどうしてもやりたくないことをして、自分の意思を削るくらいなら、自分勝手だと思われていいから自身の意思を尊重する。
そういう人間ですよ僕は。
大体、自分のためだけに生きるのだと思っている僕にさえ、世の中には「やらねばならぬこと」が生じる。
他人のためとか自分のためとかそういう問題以前に、純然たる強制というものが人生にはある。そしてそれは理不尽に多い。
自分のために生きようとしても、どうしても逆らえないことは、絶対ある。
だから、せめて自分で選べる範囲では自分勝手に選ぶのを僕はモットーにしている。はず。
常に、自分の目の前にある嫌なことは絶対に避けられないことなのか、それとも周りからサイテーだと思われようがどうなろうが避けた方が損得勘定ではプラスになるのかを考えて生きてる。はず……
「はず」というのには、結局こういうような自分の考えの深いところの話というのは自分自身にすら分からない領域だと考えているというニュアンスがあります。
でも、多分そうなんだよ。
僕は逃げられることからは逃げる。
逃げる方がデメリットがでかい時以外は、嫌なことから逃げる。
そうしてる、はず。
それが良いのか悪いのかは多分人の考え方によるだろうけど、
人のため人のため、って、ずっとやりたくないことをやり続けるのって、辛くないかと思う。
疲れるんだよ。
だから、嫌なことから逃げるんだよ。
それが、少なくとも僕にとってはいい。ハズ。