どうもほうふつです。
出だしからもうこのブロガーは自ら読者を全滅させる気なんじゃないかと思われるでありましょうが、今回は題の通り、
僕はラブホに行ったことがない
という話をします。
……正直、これを書こうと思ったのは一時の気の迷いであることは俺も薄々気づいている。
しかし、他人がラブホに行ったことがあるかないかという視点を持つことには、実は人間社会を生きる上で見逃しがちだが極めて重要な意味を持っている可能性があることは否めない。
ある人が、仮にラブホを愛用していたとしたら、
その人はどういった生を受け、どういった環境で育てられ、何を学びやがて成長し最終的にラブホのエントランスにたどり着いたのか?
自分の目に見える範囲のその人の現在の性格に、その人がやがてラブホを利用することとなったバックグラウンドがどう反映されているのか?
当然、これらの問いかけは、ラブホに行ったことがない人間に対しても同様に投げかけられうる。
どうして人は、ラブホの玄関に行き着く者と行き着かない者に分けられるのだろうか。
今日はこの論題について、わたくしほうふつの実例を見ながら、皆さんと共にじっくりと考えていきたい。
まず、繰り返しになるが、僕はラブホに行ったことがない。
理由は、
建物に着くまでの間の精神状態が地獄
だからだ。
ラブホは、一切足を踏み入れたことがない僕でさえ100%確信していることだが、基本的には行為をするために存在する場所であり、それ以上でも以下でもない。まれに面白がって見学に行きただベッドで笑い転げてセルフィー撮って帰るアレな高校生がいたりするが、それはここでは例外として捉える。
そこに、「行為をするために行きましょう」「はい行きましょう」というやりとりが成立した時点でもう怖い。そこからショバに着くまでの間どういう精神状態になるのだろう……恐ろしい……
ラブホに行くと言い出す際の具体的な切り口がどんなものかは知らないが、どちらかが「おーい!ラブホ行こうぜ〜!」などと言い出さない限りそうならぬのは明白だ。
「気が付いたら二人ともラブホにワープしてました。その成り行きでエロしました。」
という事象の発生は現時点での人類の科学力を鑑みるにあり得ないことであり、まだ見ぬ遠い未来にそれを実現するアルゴリズムの解明ならびにシステムの構築・普及が行われる可能性は捨てきれないところだが、少なくとも現代においては、
どちらかが切り出すのである。
(3人以上の場合は「どちらか」ではなく「そのうちの誰かが」になる ←どうでもいい)
そして、それが成立した後の世界が、僕には恐ろしいものなのだ。
その場の雰囲気とかにごまかされて至るのであれば何の問題もないのです。
しかし、「今から1時間後にそなたとエロをいたしたいと思おておるがいかがじゃ?」「よきかな」みたいな流れになって、1時間行きの車の中で車よりむしろ変な精神状態がドライブしだすのは僕にとって地獄である。
一度エロの意向を出して、ラブホまでの移動の間はエロ一切出さずに普通の風景を平常通りに過ごして何気ない会話を交わして着いた途端いきなりエロって、もうわけがわからなくなる気がしてやまない。
つまり僕には、
「その場の雰囲気」→「エロ」
という流れを無視していきなりエロのカードを特殊召喚し、しかもそこからデュエル一時中断して1時間後に攻撃開始みたいなことは不可能なのだ。
ラブホに行くことを提案する、そして了承されるということ。
これは、エロの事前予約を意味する。
予約してから開催されるまで一体どんな感じでいればいいんですか!?
そもそもエロって予約していいものなんですか!?
嵐のライブチケットじゃないんだよ!??
これまで話してきたことを踏まえると、僕自身の中に潜在するエロに対する意識が一つ、浮かび上がる。
それは、
「エロはエロ、日常は日常」
という思想だ。
ラブホに行こうということになった瞬間からもう、精神的には日常ではない。平常時ではない。
しかし、その場所に行くまでの間に見える木花、感じられる空気、そしてそこら辺を歩いている登下校中の小学生は、どうあがいても日常なのである(なんで登下校の時間帯なんだ)。
エロいことをすると決定した後に日常を見てはいけない。小学生のガキを見てはいけない。自分自身の精神世界の中で、エロと日常が混在してはいけない……
このような思想が、きっと僕の中にはある。
故に僕はラブホに行ったことはない。
しかし、家で行うことが難しい人は、行きたくなくても行かないといけない時があると思う。
細かいことは言わないが、色んなケースがあるだろう。
そもそも他人のラブホについての考え方を否定するつもりはこの記事では全くない、ということを書いておきます。人それぞれさ。
皆さま、ここまでこの記事を読み進めて、どんな感想をお持ちになっただろうか。
やはり、ラブホに行ったことがあるかないか、そしてなぜそうなのかという一見ささいな話が、現代人の社会生活における根源的なサムシングを解き明かすカギとなっている、という感想を持たれた方もいるだろう。
……というのは冗談です。
さすがにそんなわけがないですよね。分かってます。
皆さんがこの記事を読んで思ったのは、
「こいつ家派なんだ」
ということだけです。
さようなら!(読者によっては永遠に)