双極バラエティ

こんにちは。双極性障害Ⅱ型の33歳男が日常をくだらないテイストで綴っていくブログです。

「将来何になりたい?」を過去から現在まで振り返ってみた

幼稚園生のとき。


卒園記念の色紙に、将来の夢を書くことになった。


僕は当時6歳。


しかし、鮮明に覚えてる。


「サッカー選手になりたい」


と書いたことを。



6歳の僕に言いたい。


幼稚園の運動会でグラウンドを一周走る競技をした時、

足が遅過ぎて他の人たちに追い付けなかったがどうしても勝ちたかったのでグラウンドのコースの半分まで行ってからコースを無視しゴールに向かって直進して無理やり1位を得た

お前のような人間に、サッカー選手はつとまらない。


運動神経悪い、足が遅いということ以前に、そもそもスポーツマンシップのスの字も持ち合わせていないお前はたとえどんなに練習してもFIFA的にアウトである。





で、小学校の卒業文集に書いた夢。


それは、テレビタレントになることだった。


小学生の時の僕は人に注目されるのが好き過ぎて、常に他人がしないことをしていた。


その例として、

自然にあるモノだけで玩具を作るのがコンセプトの授業において発泡スチロールとビー玉のみを用いて迷路を作る

という反則を堂々とやってのけたのである。


他の子たちがどんぐりを拾ってきたりしてまともに努力しているのを見て、絶対に彼らと被らない唯一無二の玩具を作り注目を得るにはどうすればいいかを考えた結果、

グレタ・トゥーンベリさん血眼、100%非天然素材のおもちゃが出来てしまった。


ユニークさを出すためにはルール違反をもいとわない奴は、タレントというか全ての職業に向いていない。




中学生の頃は、何になりたかったのか覚えてない。


中学では野球部サッカー部バスケ部に入ったヤツらがなぜか学年の支配的ポジションを得、吹奏楽部に入ってた僕のヒエラルキーマントル並に低かったので、いじめられないように何とか毎日をこなすので精一杯であり、そこには夢もクソもなかったのだろうと思われる。

ヒエラルキーの人間が目立つと嫌われたりいじめられたりする環境だったので、それまでとは一変し、人から注目を集めるのが恐怖になった。




高校の時の夢は、夢っていうか当時の近々の話になるんだけど、可能な限り授業をサボりつつ高校を卒業することだった。


継続的に当然のように毎日通学して卒業した人たちにはあまり知られていないことだと思うが、

この世の中には、大学どころか高校の時点で進級に必要な単位数というものが存在する。


僕の高校の場合、1年を通して全科目においてそれぞれ3分の2回分の授業を受けなかったら自動的に留年することになっていた。


僕は数カ月間ほぼ不登校だったが、たまに足りない単位を取りにピンポイントで授業を受けに行っては即下校するということを何度かやったことによって高校を卒業することができ、夢は叶いました。



大学の時の夢は、どこでもいいので海外営業ができる会社に入ることだった。


この夢は叶わなかった。


この学歴社会において、阪大生というアドバンテージは就活において凄まじい効力を発揮すると思っていたのであるが、


いや、友だちはほぼ皆大企業や政府系の機関に入れたので実際多分それは間違ってないのだが、


そのお墨付きを以てしても面接で落ちる落ちる落ちる落ちる、そして落ちる、さらに落ちる、一見落ちてないようでよく見ると落ちてるみたいな絶望を味わったのだ。



結局大学卒業後も仕事が決まらず、半年くらい実家で厄介になった。





で、その後なんだかんだであるIT会社に既卒入社をすることができたのだけど、


その時の夢は、早起きができる人間になることだった。


正社員雇用だったけど自分の会社とは違うもっと大きな企業に派遣されていた僕は、遅刻こそ一度もなかったものの、始業時間ギリギリに職場に到着することを繰り返した。


すると、上司からもっと早く来いと釘を刺されたのである。


これは今でも納得してないんだけど、


一応始業時間までに職場に着くというルールは守れているのに30分は早く来いとか言われて怒られるならば、始業時間を設定する意味なくね?と思う。


僕は薬の副作用や疾患のせいで朝起きが死ぬほど辛くて、それでも頑張ってルールを守ってたのは今考えたらめちゃくちゃすごいけど、同じくらいめちゃくちゃ愚かだった。


理不尽なことからはすぐに逃げるということの大事さが理解できていなかったのである。





で、ついに体調壊して会社を辞め、実家に二年半パラサイトしている昨今、


夢は……









特にないな。


まぁ、強いて言えば通訳の仕事が得られて自立してまあまあテキトーに暮らすのが夢かな。




サッカー選手やタレントになりたかった子どもの末路がこれなのだ。


でも、大多数の他の人たちもそんなもんなんじゃないかと思う。



これは、仕方ないよね。




しかし、もし自分の親が毒親だったら、自己肯定感が全くない子供に育ち、小さな頃から自分で自分の可能性に蓋をしていたかもしれない。


ひょっとしたら、子どもの時だけでも将来の夢が見れる環境で育った人たちは、自分も含め、相当幸せなのかもしれないよね。



く、今回の記事は完全にネタにしたかったのに途中からマジメなテイストになっちゃったな〜……


着地点が変な感じになった気がするけど、おしまいです。