どうもほうふつです。
僕は今、自分一人で生計を立てていません。
収入は障害年金とわずかな翻訳業のギャラのみ。
とても一人では暮らしていけないのです。
同じような境遇の方たちはたくさんいると思います。
で、どうやって今僕が生活していけているのかというと、ハッキリ言って親のスネをかじっているからです。
親には毎月一万円だけ渡してますが、自立して暮らすとなると食費や住宅費だけで一万円どころの出費ではなくなります。
だから、親に頼ってます。正直かじりまくってます。
しかし、一概にこれを悪いことだと断定する必要はないかと思っていまして。
なぜそう思うか。
結論からいうと、信用はお金に代えられるからです。
親がアラサー男児の僕の世話をしてくれているのは、僕と親の信頼関係があるから。
これは、実際かなり貴重なものだと考えています。
世の中には、親と絶縁したり、絶縁とまではいかないものの援助をしてくれなかったり、あるいは亡くなっていたりするというような事態がふつうにありますよね。
まず、親がいて、なおかつ自分を援助してもらえるような理解と信頼関係があることが、親のスネをかじるための重要な要素だと思っています。
この要素が自分にあることは、当たり前ではないですよね。
僕がくいぶちに困り路頭に迷っていないのは、こういった要因があるからです。
親のスネをかじるのはしんどいな……罪悪感あるな……と思っている当事者の人たちはたくさんいると思いますが、
親のスネをかじれるだけ、スーパーラッキーではないかと考えています。
ツイッターやブログを見ても、親のスネをかじりまくりたくてもかじれない人たちが大勢います。
かじってる人たちは、運が良いのは間違いないと思います。
ただ、さすがにずっとかじりつづける訳にはいかないので、就職したり手に職つけたりする努力をすることは必要ではないかとは考えています。
要するに言いたいのは、
将来自立するつもりがあるのであれば、親のスネをかじることのできる人はラッキーだし罪悪感をめちゃめちゃ感じないといけないわけではないんじゃ?ということです。
親に養ってもらうのには、それまでに信頼を構築してきていることが大事でしょう。
その信頼を築いてきた力は、ある意味資産をもたらしているとも言えなくはないと思います。
とにかく、親のスネをかじりたくてもかじれない人たちは世の中にたくさんいるので、かじれる人はかじっとこうぜ!という話でした。
久しぶりにブログ書いて、疲れました。