どうもほうふつです。
今日は母の還暦祝いでピザ屋に行きます。
……が、偶然にもそのピザ屋は僕が時々行っている水たばこ(シーシャ)屋さんと近い場所にあることが判明してしまいました。
つーことで!
ピザ屋の予約時までの時間を有効活用するために、今そのシーシャ屋さんにいるってことよ!
ただ、今恐ろしい矛盾を認識している。
水たばこを吸うことが時間の有効活用になるわけがないのだよ。
最初から分かっていたはずだ、ほうふつくん。
シーシャ吸うのがものすごいムダな時間の使い方であるということは。
しかし君はシーシャ屋に行くという選択をしてしまった。
何故なのか。
本当は、ただシーシャ屋に行きたかっただけだからだ。
たまたまピザ屋との距離が近いということを無理矢理理由にして、君はシーシャ屋行きを採択した。
……ただそれだけだ!!
さて、どうでもいい茶番はここまでにしておこう。
実はわたくし、シーシャ吸うのをやめようと思っている。
なんだかんだでたばこだし、身体には悪かろうという単純明快な理由からである。
ただし、今すぐにシーシャ禁するわけではない。
僕は今28歳だ。
29歳までは吸う。
30歳からは吸わない。
それは何故か。
友だちが、「30歳からは肺の修復能力がかなり衰える」と言っていたからだ。
その友だちは、ぶっちゃけ高校生のときくらいから紙巻きたばこ、いわゆるシガレットを吸っていた。
しかし、上記の理由で禁煙をしたのだ。
ほうふつさんもそれに習うというわけだ。
しかし、この「禁煙公約」にはボトルネックがある。
それは、ある例外ルールが存在するということ。
家でシーシャ吸わなくするだけで、たまにシーシャ屋には行きます。
……仕方ない。仕方ないのだ。
僕はシーシャというものの魅力にとりつかれているのだ。
人生のおともであるシーシャを完全に断つことなど、考えられないのである。
まぁ、正直月に1回くらいはシーシャ屋に行くよね。
どこが禁煙なんだ!そんな裏ルールは抜け道以外の何物でもない!
……そういう読者さんたちの声がワイヤレスで聴こえてくる。
しかし、この禁煙は公約に過ぎないのだ。
公約とは。
……抜け道がなかった公約など、歴史上存在するだろうか!!
というわけで皆さん、
月イチは三十路過ぎても吸いますので。
だって美味いんだもん!