双極バラエティ

こんにちは。双極性障害Ⅱ型の33歳男が日常をくだらないテイストで綴っていくブログです。

表現の不自由で本当に困ってるのは子どもでは?

どうもほうふつです。


最近、あいちトリエンナーレだかなんだかで表現の不自由展というのが注目されていますよね。


で、例えば従軍慰安婦像を展示するのに税金を使っていいのか、などという議論があるわけですよ。


その賛否はおいといて、僕はこう思う。




もっと、世の中に知らしめるべき「表現の不自由」が存在するだろ!

と。



そして、僕が考え得る中では、今の日本で最も表現の自由が損なわれている人たちは子どもたちです。



だって、例えば

制服の上に着るカーディガンは黒と灰色と紺色しかダメ

とか、

小学生はランドセルじゃないとダメ

とか、

髪染めたらダメ

とか、


意味分からん校則がいっぱいある。


こういうのこそが憲法で保障されるべき表現の自由を侵しているのではないだろうか。



まぁ、上記の例は全て「オシャレ」に関するものなのですが、


オシャレって大事じゃない?

たとえ子どもでも、自分の見た目でなにかを表現するのって制限されるべきじゃないと思うんだよね。



僕が気になるのは、何故子どもたちがオシャレをする自由を学校とかが当然のように制限できるという通念があるのかということなんですよ。


別に茶髪に染めた小学生がいっぱいいても良くない?


何故大人たちはそういうのが気に食わないのか、全然理解できない。



こういうことを言うと、それは子どもを守るためだとか、社会に出たら色んなルールにしたがわないといけないからその練習をさせているのだとかいう意見が返って来がちなんだけど、


いや、でも憲法で保障されとるやん……って思いますのよね。


ルール守ってないのは憲法に反した校則を設けてる大人たちの方じゃねぇかと僕は思うのですよ。




まぁ、度が過ぎたものが表現の自由の範囲外なのは分かります。

でも、度が過ぎたレベルというのは全裸で登校するとか、そんな話だと思うのです。

それは、大人たち、止めてあげなきゃね。

さすがに全裸登校のクセがついた子どもがちゃんとした大人になれるような気は僕もしないよね。




とにかく、


慰安婦像がどうだとか言う前に、


子どものオシャレにおける表現の自由をちゃんと守りなさいよね!って思ったりするのです。



あと、「おうちの経済状況によってはオシャレができない子がいるので制服ランドセルのルールは必要」って言う人いるけど、












制服、高くない?