このブログを始めて一週間くらいの時に、下記の記事を書きました。
soukyokuvariety.hatenablog.com
双極性障害で辛い思いをしながら就活をしている大学生に向けて書いた記事です。
はっきり宣言してきますが、今回の記事が上記の記事の内容を超えることはありません。
さっき読み返してみて、すげえ読みにくいな、あの頃はブログの記事書くの下手くそだったんだな、とは思いますが、
内容としては上記リンク先の記事の方が、はるかに的を得ています。
なぜ、今その記事を超える内容が書けないのか。
それは、僕がもう、語れるほど当時の辛さのことを覚えてないからです(僕が大学生、あるいは既卒で就活をしていたのは3年前です。)
思い入れがもうあまりないから、とも言えます。
今回でまず伝えたいのは、いつか辛い就活も、双極性障害の自分にとって過去のものになる時が来る可能性があるということです。今の僕のように。
確約はできない。
でも、今のあなたの辛さが、過去になることは、あり得ます。
もう、僕にはあなた達の苦しみがどんなにひどいものなのか、解ることができない。
なぜなら、もう僕にとってそれは遠くに褪せてしまったことだから。
これからも僕は、どんどん就活の頃の辛さを忘れていってしまうと思います。
双極で就活をしていた当時、嫌だったことは、具体的にはいくつも覚えてる。
僕だけが、内定をとれない。
僕だけが、面接に行く気力がない。起きることさえできない。
僕だけが、就職が決まり卒論に向けて努力している友達から外れている。
先に内定をとった友達が、僕の病気のことと就活のことでどう僕を気遣えばいいのか悩んでいる、ことに気づいてしまっている。
まだまだ、数え上げるときりがない。いくつも辛いことがあった。
しかし僕は、もうその辛さのことを、感情的にはあまり覚えていません。
これを読んで下さっているあなたが双極性障害で就活をしている方だとしても。
僕は、何の力にもなれません。
何の勇気も、なぐさめも、あげられません。
自分の当時の苦しみを、忘れてしまったから。
「そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ」
はっきり言う。
そんなことは、確約できない!
あなたの苦しみは、どこまで続くのか。
分かりません。
でも。
可能性としては。
「いつか笑って話せる」ようになることは、あります。
少し違う話になるんだけど。
僕は、就活の辛さのことはかなり忘れてしまっているのですが、
高校二年生のとき、クラスで孤立して、その後双極性障害になって不登校になり、家でひたすら苦しんだ時の辛さは、今でもはっきりと覚えています。
多分、一生忘れないと思います。一生消えないキズです。
双極での就活に苦しんでいる方々に対し、僕がただ一つ言いたいことは、結局2年近く前に書いた記事と同じ。
無理して就活しないこと、休む方が大事だということです。
僕が高校2年生の時の辛さをまだ抱えているのは、無理をしたからだと思っています。
就活の時もかなり無理はしましたが、人間が壊れそうなレベルの無理をしたのは高2の時だけです。
人間が壊れてしまうと、職に就けるかどうかという問題ではない、もっとひどい、取り返しのつかない人生になってしまうことさえあります。
休むのは甘えではありません。
どうか自分を大切にしてください。
……さあ、ここからどうオチを付けようかな!?
とりあえず、過去の就活の話でもするか。
僕、大学の時の就活で、日本製中古自動車の海外輸出をしている小さなベンチャー企業の面接に行ったんですよね。
で、日本製中古自動車の海外輸出をしている企業って、日本製中古自動車の輸出をすることが使命な訳じゃないですか。しかも小さい会社ですよ。それしかすることない会社ですよ。
当たり前ですよね。
で、その企業の面接でこう言われたんです。
「もしうちの会社がラーメン屋をすると言ったら?どう思いますか?あなたはラーメン屋の従業員として働きますか?」
僕は、即答しました。
「御社のビジネスの軸は日本製自動車の輸出であり、ラーメン屋はその軸からぶれているため、自動車輸出という筋を守ることが大事だと考えます。(ラーメン屋はしない)」
はい、勘のいい皆さんのご想像通り、
「うちはラーメン屋になっても良いと思ってるんですよ」と言われました
あれですね。
就活当時の辛い感情は薄れていっていますが、
ネタは、忘れることができないですね
という訳で、ほうふつでした。またね~!