どうも!ほうふつです!
いや~最近めっきり暑くなっちゃってさ!
で、スマホとかパソコンってすぐ熱くなるじゃん?
近頃はもうあんま触りたくない人が多いのかなって!
それでかな!?
最近このブログのアクセス数が壊滅的になっている
おい!読者!
おめーら、いくらラジオの記事ばっか載せてて実質内容無いからって、俺のブログのことをもっと気遣え!
こちとら300記事以上書いてんだ!アクセス数1ケタになりそうなこと何度も最近あったぞ!
アクセス数とか俺気にしてないから……っていうポジションで今までやってきたけどさ、それでもそれなりには今まであったんだよ!もっと俺のことを思いやれ!俺もお前らのことを思いやるからよ!
なんならツイキャスで悩み相談回とか開いてやっから!テキトーに聞き流して的確な返答してやっから!
ぜえぜえ……
まあ、茶番はこれくらいにしてだな、本題に入るよ。
ごめん、今回はすげえ重い記事になる。おちゃらけた要素はもうこれで今回は終わりだ。
最近、母方の祖母が、今日明日で死ぬと言われまして。
まだ結局死んでないんだけどよ。そこが今回の焦点である。
施設にいる祖母のかかりつけ医師から「一か月以内に亡くなります。いつ亡くなってもおかしくない。」とうちの母に連絡が来たんだ。
次の日、母からその連絡を受けた叔父が祖母に電話をしたんだけど、「苦しい!苦しい!苦しい!」と激しくせき込みながらうったえたらしい。
で、「姉ちゃん!早く病院に連れて行ってあげて!このままじゃお母さんがかわいそうだよ!」と言ったので、母が夕方施設に行って、病院に行く準備をした。
俺も、翻訳の仕事の取引先に「申し訳ないけどそういう状態なので、さしあたりご依頼1つキャンセルさせてください」と言ってそこに同行した。
施設で祖母を見た時、俺はもうひたすらに辛くて。
俺、身内が死んだことないんだよね。
亡くなる直前の人がどんなに苦しむかを、見たことがなかった。
で、祖母は病院に連れていかれた。
俺は、姉に連絡して「おばあちゃん、今日明日かもしれんらしい」と伝えたら、「行く!」とすぐに言ってくれた。ここが、姉のしっかりしているところである。
とりあえず、病院で、俺と母が祖母の担当医になった医師に色々質問された。
母は、「母はいつまでもちますか?」とその医師に尋ねた。
彼は、「今日、明日です」と言った。
その後すぐ、姉と姉の旦那さんまで病院にかけつけてくれた。
俺の父も、母といっしょに経営している飲食店を急遽閉店させてまで急いで来てくれた。
病室の外にいても、激しくせき込む音が聞こえてくる。
俺は、正直とても混乱した。
俺は、身内が死ぬとき、自分がどんな感情になるのか、非常に興味があった。
でも、大方の予想はついてた。
俺は、ただ冷静に、そして残酷に、その場面を迎え、通り過ぎていくのを傍観するだけなんだと。
でも、違った、俺は普通に混乱した。
しかも、まだ死んでない時点でそんなだった。これで死にでもしたら俺どうなるだろう、と思った。
ツイッターでは、祖母の死に対し混乱していることをつぶやいたら、何人かの方たちがお返事下さり、アドバイスを下さった。本当にありがとうございました。
祖母の死、そしてやがて来る自分の死に思いをはせつつ、とりあえずその日は家に帰った。
母だけは、遅くまで祖母の病室にいた。
次の日、千葉にいる叔父が、急遽朝の飛行機便で福岡まで来てくれて、祖母と面会した。
で、俺はたまたま両親の飲食店に用があって行ったら、すでに祖母との面会を終えた叔父がそこにきて、母と話をしていた。
叔父は母に言った。
「意外と元気そうだったよ!まだ大丈夫、死なないって医者も言ってた。」
あれ?
なんか、聞いてたのとちゃうぞ?
今日明日じゃなかったんすか????
で、こうも言った。
「お母さんは、『小さいころからろくに面倒も見ず、(叔父の名前)と(母の名前)には迷惑をかけた。悪いと思っている』と言ってた。」
で、実はここからが今回の記事の中核的な話になってくるんだけどさ。
祖母は昔から、うちの母を差別し、弟(俺の叔父)は好きだった。母にとってはいわゆる毒親だった。
本当はうちの母は祖母のことが大嫌いで、それでも叔父が千葉にいるから、仕方なくこの2年弱、全面的に介護を続けていた。
俺も、(今は違うけど)仕事してなくて、母も一人じゃ大変なので、介護を手伝ってた。
で、祖母は類いまれなるワガママなやつで、
めちゃくちゃ仕事が忙しい母に
「この前あんたが買ってきた服はダメ、新しいカーディガン買ってこい」とか
「(めちゃくちゃ遠い)実家に行って私の宝石を取ってこい」とか
「この前買ってきたお菓子は気に入らん」とか
「お見舞いで果物もらったけど皮がむけないから今すぐ包丁持ってきてむきに来い」とか、
施設の規則に触れることも含め、もう、ここには書ききれないほどのワガママをこの2年弱母に言ってきた。
その度に、母は祖母の要求に応えてきた。
祖母が自分のことしか考えてなくて弟だけかわいいという話はこれくらいにしとく。
問題は、昨日のことだ。
上述した通り、俺の叔父(母の弟)に対しては、病室で祖母は『小さいころからろくに面倒も見ず、(叔父の名前)と(母の名前)には迷惑をかけた』と言った。
それは一昨日のこと。
昨日の朝、病室に様子を見に来た母に、祖母はこう皮肉たっぷりに言った。
「あんた、私が早く死ねばいいと思ってるんやろ?」
それを言われたと俺に母が伝えに来た時、俺はもう、もうすぐ死ぬ「かわいそうな」祖母に対し、とてつもない怒りを覚えた。
なんかよう分からんけど、自分自身も情けなくて、涙が出そうになった。
これだけ、献身的に介護を続けてきた母に対し。
施設に入る時も、住民票移したり、施設に祖母の要求する家具を全てそろえ、契約も全部母がして(叔父は何もしていない)、そういう母に対し。
人間が、そんなひどいことを言っていいのだろうか。
で。
祖母は、初めに医師から聞いていたのとは違って、延命しようとすれば1か月近く生きられるとのことなんだけどさ。
叔父は、なるべく長く生かしてやりたいと言っている。
しかし、叔父は千葉に住んでいる。
延命しようとすれば、病院の決まりで、他の病院を転々としなければならない。
ただ、現実的には、その手続きや移動は、母がしないといけないことになる。
俺は、絶対にそれは許せなかった。
はっきり言う。祖母は、キリのいいところで一生を終えて欲しかった。今でもそう思ってる。
何故、母がこんなに辛い思いをしなければならないのだろうと思って、俺もノイローゼになった。
でも、状況は変わった。
母は、祖母から「私が早く死ねばいいと思っているんやろ?」と言われてから考え、もう病院には行かないことを叔父に伝えた。
叔父は、仮に祖母が転院などする機会があったら自分が千葉から来て祖母関連の手続きをすることを母に同意した。
これに俺は、めちゃくちゃほっとしたんだ。
俺は、母があの非道な祖母の介護をこれから死ぬまで続けることが、自分の精神的負担になっていた。
母がもう、病院に行かなくていい。そのことに、本当に本当に安心した。
俺は、非情な人間かもしれない。
正直祖母には、金銭面でたくさん助けてもらった。
イランに留学する時、両親に100万円お金を貸してくれた。
大学留年したときも、就職して大阪に引っ越すときも、たくさんお金を出してくれた。
その点に関しては、はっきり言ってツッコまれたら何も言い返せない。
でも、「あんたは私が早く死ねばいいと思ってるんやろ?」と母に言ったことは、絶対に許せない。
結局分かった。
俺は母が大事なんだ。
母が悲しければ、俺も悲しい。
母が安心すれば、俺もなんだか安らぐ。
マザコン?上等だ。
笑いたきゃ笑え。非難したけりゃ非難しろ。
それでも俺は母を取る。
それが、俺という人間なんだ。俺自身も知らなかったけど、そうなんだ。
で、結局さ~俺は、なんだかんだ言ってこのネガティブな雰囲気でこの記事を終わりたくない訳よw 結局今回はそれで終わるわけだが……www
なんでそうしたいんだろうな、そういうところが俺にはあるんだw
まあ、あんま気の利いたことは言えないけどさ、
これからも怒りに任せて、または冷静に自分の意見を言って、それでもバカなこと言ってさ、そんな人間でいたいんだ。
自分の病気のこともあるし、正直ブログ書くのめんどくさいこともあるし、ラジオやツイッターを優先することもあるけど、できるだけ長く、このブログは続けていきたいと思っている。
読者の皆さん。よろしくお願いします。
あと、冒頭で読者の皆さんを「おめーら」とか言ってすみません。
やっぱ、そういうところ僕気にするんで。失礼なこといってビクつくところあるんで。
では、これからもよろしくな、おめーら!w