どれだけ頑張っても、もっとこうすれば良かったとか、まだまだ足りない、足りないって思いつめてしまう。
今回、美しい話をしようという訳ではないんだ。
今まで頑張ってやってきた自分をほめようとか、そういうことを言いたい訳じゃない。
生きているだけで素晴らしいとか、今回はそういうことを言いたい気分じゃない。
ただ、闘っているのは間違いないってことを言いたい。
病気と闘ったり、苦しい生活と闘ったり、上司と、家族と闘ったり。
結局自分と闘ってるということになると思うんだけど。
そういう人たちに、もういいよ休め、とも、逃げろとも、言う気はない。
ただ、闘っていることだけはゆるぎない事実だ。これだけは事実だ。
そして。
頑張っているという自覚がある人はまだ良い。
そうじゃなくて、ふだん何もしてないような人にもっと言いたい。
それでもきっと、何かと闘っていると。
逃げたい人も、逃げるかどうかで迷い、闘っている。
すでに逃げている人も、逃げてきてよかったのかと思いつめたりする。
何もできていないかもしれないけど、それでも闘ってる。
何もやってなくても、何にも思わず生きている訳じゃない。
どんなに弱っちい生き方しかできてなくても、何か不安なものと闘っている。土俵に立ってる。
闘っていない、自分は土俵にすら立てていないと思っているような人間も、自分が闘っているってことは、知ってていいと思う。ただそれだけだ。
自分が闘っていることを自覚したからって何も解決したりはしない。
明日も上司は理不尽だし、冷たい家族は冷たいし、間違っても病気が治ったりなんかしない。
ましてや、ニートや引きこもりの状態から脱出、なんてできる訳もない。
でも僕は、自分が闘っている人間だと自分で認めたら、重たい気持ちがなんとなくふわっと、ほんの少しだけ軽くなるような気がしてならない。
ただ、それだけ。
生きるのが辛い人に、美しい言葉を言うのは簡単だ。
自分で自分をほめましょう、とかさ。
でも、美しい言葉は、少なくとも僕にはもう届かない。もう、届きようがない。
だから、ハナっから美しくない、意味すらないかもしれないエールを自分に、あるいは誰かにおくる。
お前は闘っている、って。
今回の記事は、それだけです。