最近、よく「死」というものについて考えます。
何故自分は死ぬのが怖いのか、ということが僕の中での長年にわたるテーマだったのですが、最近なんとなくそれが解ってきた気がします。
……で。
この先の文章は、かなり憂うつな内容で、人によっては刺激が強いかもしれません。
メンタル的に今日はヤバイな、というような人は読み進めないことをお勧めします。
では、話に戻ります。
思えば僕が死の恐怖を初めて感じたのは、確か8歳か9歳の時でした。
これというきっかけは特になかったはずですが、子どもなりにいろいろな情報を見聞し、その集めた情報を頭の中で組み立て分析した結果、人は誰しもやがて死ぬ、そして自分も確実に死ぬという考えに至ったのです。
そのことに気付いて間もなく、家族で夕飯を食べていた際に僕は死への恐怖で頭がいっぱいになり、「死ぬのはいやだ、怖い」と言って泣き出したことを今でもクリアに覚えています。親が覚えているかは知りませんが。
それからというものの、日常生活の中で「人はやがて死ぬ」ということを不意に思い出すと頭の中がパニックになり、ぜいぜい動悸がしておびえてしまうという状態になることが何度となくありました。今でもあります。
他の人がどうかは知りませんが、僕は人は必ず死ぬという事実をとても身近に感じて生きています。
そのまま、およそ20年生きてきました。
で、やはり死ぬのは怖いのですが、どうして自分は死ぬのが怖いのかという問題については、答えがずっと出ないままでした。
動物はいつか死ぬことなんて考えないのにな〜とか思いつつ。
そして、死を恐れる理由について、ある程度固まった考えができたんですよね。
それは、一言で言うと、この世の全ての概念がなくなるからです。
例えば、死んでしまったら「あ」という文字はなかったのと同じになります。
さらに例を挙げると、アメリカ、日本という国もないのと同じになります。
つまり、自分が「当たり前に存在している」と認識している概念が、事実上通用されなくなるのです。
今まで生きてきて当然身近に存在しているとみなしてきた言語や風景などが、無になることを、僕は恐らく恐れています。
しかし死を恐れながらも、双極性障害のうつ状態において「死にたい」と思うことが多々あります。
これは、ある種矛盾するようで、矛盾していない思考だと考えています。
死にたくなるのは、生きていることが辛いからです。
死ねば嫌なことから逃れられます。
だから死にたいと言っているだけであって、生きている現時点で抱いている死、つまり概念の完全な消失への恐怖はなくなりはしないのです。少なくとも僕はそうです。
多分、自分が認識している全ての概念が消えてしまってもいいから辛すぎる現実から逃れたいというふうに思ったとき、自死するのでしょう。
ただ、僕はこの世の概念が消えてしまうのがめちゃくちゃ怖いので恐らくは自死しないと思います。
人は、必ず死ぬ。
この世において、数少ない絶対的事実です。
死を恐れずに生きていけたら、もっと人生楽しいのかもしれないよね。
でも、なかなかそういうふうには思えない。
今までしてきた経験や見てきたものが全ていつか消えてしまうことを知っていながらも、生産的に生きることは、とても辛いです。
でも僕は、人生では何かをやらずにはいられない、やらないわけにはいかないものだと思っています。
何故そう思うのかは自分でもよく分かりません。
多分、誰にも分からないよね。
何もかも分からないままいつか終わりがくるときまで何かをし続けることを、僕は何の根拠もなく是認しています。
な〜んて、当ブログ史上ぶっちぎりで暗い記事を書いてしまいましたが。
まあ、こういうふうに生きることに向き合っている人がいるんだな〜って、思ってね笑
ではでは!(^^)