僕は今、水たばこを吸っている。
現在進行形だ。
恐らく、自分が今していることを今これをしていると認知できるのは人間だけである。
恐らく、これができることこそが人間が人間たる証だと無意識のうちに多くの人が思っている。
恐らく、これこそが人間と他の生物を隔絶し、人間が優越的な存在だと我々に思わせるゆえんである。
しかし、今自分が意識を向けていることを意識できたからと言って、それが何になるのだろうか。
僕は今たばこを吸っているが、自分がたばこを吸っていることが分かったところで何の利益にもならない。煙の味が良くなるわけでもない。
ただ、「俺は今たばこを吸ってるんだなぁ……」と思うだけである。
つまり、自分が今やっていることが何かを認知できることに、意味は全くないかもしれない、ということを言いたい。
そんなことより、今一つだけ確信していることがある。
今吸っている水たばこは、うまい。
今日はパンプキン味で、初めて吸ったのだが、とにかくうまいのだ。
サルでも水たばこを吸うことはできるだろう。
で、サルによってはそれをうまいと感じることもあるだろう。
それと、今僕が感じていることは何が違うと言えるだろうか。
水たばこがうまい、それ以上の事実が人間だけに起きているなんてことがあるだろうか。
考えても仕方がない。
僕には何も分からない。
ただ、今は水たばこがうまい。
それだけである。