双極バラエティ

こんにちは。双極性障害Ⅱ型の33歳男が日常をくだらないテイストで綴っていくブログです。

人生はないものねだり?

前にIT企業で働いていたころ、僕がいた支社のトップである執行役員と面談をしたときに、非常に印象的なことを言われたのを思い出しました。



「日本の教育は日教組によって基礎が作られ、学生が優秀かどうかはその組織の作った基準をもとに決定されてきた。そして、その基準をもとに優秀とみなされた人々がいい大学に入るように、世の中は作られている」



彼が何を言いたかったかというと、すなわち、

彼のように、学校のお勉強がデキるとは言えなくても「本来優秀な人」はちゃんといるのにもかかわらず、学校のお勉強がデキる人たちばかりがいい大学に行けて、彼の言う本来優秀であるはずの人たちがふさわしい評価を得られず高い学歴を得ることができないのは、実は日本の教育に多大な影響力を持っていた日教組が仕組んだことであり、このような社会は間違っている

ということ、だと思いました。
(ちなみに、僕は日教組というのが何だか全く知りません。)



しかし不思議なことに、彼は日頃いつも僕の学歴をとても褒めていました。


そして彼は、言うなれば、学歴至上主義者でした。自分より学歴が低い者をバカにしているととらえられる言動をよくしていました。





面談で彼が話した内容と、彼が学歴至上主義なのは、矛盾があるように思えます。




推測に過ぎないことですが、彼は恐らく自分でもき付かない間にこの矛盾を内包しているのです。




彼は、自分が社会から正当な評価を得られていないのは、学歴が足りないからであり、高い学歴を得られなかったのは「本来優秀な人」である自分を不当にはじき出した世の中のせいである、という意見の持ち主でした。

つまり、今の学歴社会を批判していました。


では、なのに何故僕を褒め、気に入っていたのでしょうか。そして、学歴がない人を下に見るのか。


それは恐らく、「学歴があるヤツはすごくて、ないヤツはダメ」という、潜在的な考えが実は彼の脳にしみついているからなのだと思います。



すなわち、口では現代の学歴社会を否定しつつも、頭の奥底には学歴で人を判断するというシステムが根強くこびりついており、そこから抜け出していないのです。抜け出せていない、と言う方がより適切かもしれません。



それはある種、洗脳されている状態だと言えるかもしれません。そして、コンプレックスというものにおかされている状態なのかもしれません。

彼自身、その矛盾に気付いてはいないと思うけど。






僕は、はっきり言って学歴はその会社の中でもかなり高い方でしたが、そのITの会社でエンジニアとして特に仕事がデキた訳ではありませんでした。



むしろ、専門学校でちゃんとITのことを勉強して、20歳くらいから働いている人たちや、無名かと思われる大学の卒業者で何年もこの業界にいて経験を重ねてきている人たちの方が、比べるのもおこがましいくらい「優秀」でした。




そして、学歴社会にとらわれているであろうその執行役員本人はどうかというと、信じられないくらい営業能力が高く、大型案件をいくつも取ってきて会社の利益に多大に貢献し、年収1600万円という人でした。



僕が思ったのは、「何故こんなに優秀で幸せの条件がほぼそろっている人が、社会に不満を持つのか」ということです。


だって、学歴の面においては評価されなかったとしても、仕事が死ぬほどデキて、この不景気で高給取り、しかもまだ三十代前半で役員であり、奥さんと娘さんという家庭もあるのです。




十分、だと僕は思うのです。




しかし、彼には十分ではないのです。


このことこそが、今回の記事で言いたいことです。



 
つまり、ある人が充実した人生を歩むのに十分な条件を持っているように見えても、それは僕の視点で十分に見えるだけで、本人にとっては必ずしもそうとは限らないということです。



僕は、彼は相当人生がうまくいっている人間だと思うのですが、彼の頭の中にある世界では、そうではなかったみたいです。


学歴が備わらなければならなかったのです。





ある分野において、あるいは広い領域でどんなに優秀な人でも、ないものねだりという恐ろしい性質を持ちうるのは、人生の残酷なところだと思います。


人生を満たすために必要なものは、全ては手に入らない場合が多いですから、自分の欲求になんとか折り合いをつけようとする方がより現実的な対処法であるはずです。しかし、人間はそれがなかなかできないみたいです。




考えてみれば僕も、貧乏だけどそれなりに温かさに恵まれた家庭に育ち、そこそこ楽器をたしなむことができ、難関と言われる大学に入ることができ卒業しましたが、自分は他人より幸せなんだろうなと感じたことは特にありません。



そして、僕の中には、双極性障害じゃなくなれば良いのにな〜という、ほぼ満足させることが不可能な欲求があります。

この病気のせいで自分の人生は暗いまま、とまでは思わないようになってきてはいますが、この病気さえなければもっと楽で楽しく生きられるんだろうな、とはなんとなく思っています。



しかし、果たして本当に、僕は双極性障害じゃなくなれば幸せなのでしょうか。


はたからみたら、幸せかもしれません。


しかし、多くの人間に内在するないものねだりという性質は、僕になにか新しい不満を探して持ってくるような気もするのです。




どうやったら、幸せになれるのかということを考えてみたとき、やはりそれは、自分の脳からないものねだりというシステムを削除することだろうと思います。


しかし、そんなことは果たして可能なのか。


不満を抱えて生き、そして抱えたまま死んでいくのが人生の本質なのかもしれない、と思ったりもします。



ではこれにて終わりです!

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