双極バラエティ

こんにちは。双極性障害Ⅱ型の33歳男が日常をくだらないテイストで綴っていくブログです。

人間生活の解

僕は、紅茶を飲むのが好きです。


デパートで100グラム1500円くらいの茶葉を買ってきて、ゆっくり一ヶ月かけて消費します。


また、水たばこを吸うのも好きで、専用のたばこの葉っぱ(ふつうフレーバーと言います)をネットショップで取り寄せ、ゆったり煙を吸いながら本を読んだり英語の勉強をしたりします。


医学英語翻訳者になるのが目標なので、英語のネット記事を読んだり、医学系の論文を日本語に訳す練習をしたり、英語の文を暗唱したりしています。


あと、ブログ書くのも有意義な時間の過ごし方です。


双極性障害患者なので、辛いときもあり毎日上記のようなことができる訳ではないけど、スローペースでも地道にそれなりにやっていってます。









これらは、ほとんど大したお金がかからないことです。少なくとも僕にとっては。



障害年金で十分にまかなえる範囲の金額しかかからないような生活の中で、僕はそれなりに満足に生きていると言えます。



実家住まいですが、多少は親にお金を渡しているし、大学の奨学金も毎月払っています。

特に、何不自由ない生活を送れているはずです。









最近、考えていることがあります。


僕の人生は、これから何が楽しいのかということです。



例えば、僕がプロの翻訳者になるという目標を達成することができて、自立できるだけ以上のお金を稼ぐようになったら、僕の生活は一変するのでしょうか。


多分あまり変わらないだろうな、と思う理由は、現在の時点で、人生における自分がある程度満足する生活の仕方の「正解」を既に実行しているような気がするからです。



例えば、僕がもし今の生活に不満を抱いていて、本当は車を買いたかったり、アップルのかっこよくて高いパソコンが欲しかったりする人間なのであれば、自分でもっとお金を稼げるようになればより幸せになれるような気はします。今の時点でできない暮らしが、存分にできるようになるのですから。



しかし、僕はそうじゃないのです。



悲観的でも、ましてや希望に満ちた未来を期待しているのでもないのですが、ただただ僕の生活は、ある程度お金を稼ぐようになっても何も変わらない、はず、です。


つまり、僕の「今はできないけど、これからの人生でやってみたい楽しいこと」は、ほとんど無いに近いと思っているのです。




これは、人生に今以上を期待していないということともとらえられます。




病気のことに関しては、もっとコントロールができるようになりたいとか、そういう望みは確かにあります。


でも、症状を抑えられた先にある僕の日常とは、紅茶をすすり、たばこをくゆらせ、言語に取り組むということであり、今と同じです。

強いて言えば、症状をコントロールできたらそのような日常を阻むものがなくなり、もっと確実に今の生活を実行できるようになる、というだけです。




これから、何か新しくしたいことが始まって、全然今までにはなかった「日常で楽しいこと」が僕の人生に登場したりするのでしょうか。



なんとなく、そうは思えないのです。






僕は、人間というのは、時間が過ぎれば過ぎるほど何かステージのようなものを上がって行き、その段階により、都度生活が変わるものだと思っていました。



実際、そういう人も世の中にはたくさんいるように思われます。



しかし、少なくとも僕に限っては、既にほとんど確固たる正解を出してしまっている生活を、たぶん、送ってしまっています。



そして、これからどういうふうになろうとも、僕の生活の仕方に大きな変化はないような気がしています。






すでに「解」を出してしまっているかもしれないことが、人間の生き方として良いことなのか、それとも悪いことなのか。



それは、ひょっとしたらまだ20代の自分には到底分からないことなのかもしれません。



いつか人生が終わる直前になり過去を振り返った時、それが分かるのかもしれません。



今はまだ考えても仕方のないことなんだろうな。





てなわけで、眠剤が効かず全然眠れないので書いた記事でした。