ども〜ほうふつです!
なんか最近思うんだけど、何か悪いことをして「悪気はありませんでした」って言う人結構多くないかい?
「いじめたつもりはありませんでした」
「運転時にはもう酒は抜けていると思ってました」
「故意に偽装したわけではありませんでした」
えとせとら。
こーいうのを見るたびに、「悪気ないって言うのはだいたいめちゃくちゃ悪いぞ」と思うのは僕だけでしょうか。
まぁ、場合にもよるとは思うんですよ。
例えば、他人の家で食事してたら手からフォークがすべって床にぶっ刺さりました、とかだったら「悪気なかったよな〜、だいじょーぶ穴が四本空いただけだし」って素直に被害者も言えると思うのさ。何だこの例は。
でも、人殴っといて「悪気はなかった」とかさ、悪口言いまくって「いじめに相当するとは思ってなかった」とかの場合はさ、どうなの?って思うのですよ。
これらの例とフォークぶっ刺さりの例の違いは、被害の大きさが主点だと僕は考えてます。
そして、被害が大きい場合は、悪気があろうとなかろうともう加害者は許されるべきではないと思うのですよ。
「悪気がなかった」という言葉は、「悪気がなかったので大目に見てちょ」とほぼ同義ですよね。なんで許さなあかんねん、ってなるんですよ僕の中では。
特に、人が死んでる場合はそう思うんだよね。
そして特に特に、学校内のいじめで人が自殺した時はもう、言い訳されたらめちゃくちゃムカつくのですよ。
遺族の気持ちになったら、「こちとら家族殺されとるのになんでいきなり殺したやつを許さなあかんねん」って思わざるを得ないよ。
でもさ。
法律的には、悪気があった場合と無かった場合だと、悪気がある場合の方が悪いとされるケースが多いですよね。つまり過失だった場合は比較的罪が軽くなる傾向にあるよね。
僕、これ正直間違ってると思うよ。
いじめである子どもを自殺に追いやって、「悪気はなかったです」で罪が軽くなるのは、人にピストル頭に打ちつけてぶっ放しといて「悪気はなかったです」って言って罪が軽くなるのと同じだと思うんだ。
なんかいじめの話にシフトしてきたかもしれないけどさ。笑
もう主旨とか多少外れようともどうでもいいわ、言いたいこと書いてやる笑
そもそも何かめちゃ悪いことをした人が、開口一番「悪気がなかった」っていうフレーズを言いたくなるのは僕には理解できないのですよね。
「悪気がなかった」
→「自分がめちゃくちゃ悪いことをしているということを理解できるだけの知識がなかった」
→「他人と関わって生きるのに必要な最低限の知識がないのは自分が悪い」
で、結局最初と最後をつなげると
「悪気がなかったのは自分が悪い」
っていう論理に本来はなると僕は思うんだ。
つまり、悪意がないと発言することは、許される理由には論理的にはならないのに、なんで悪気はなかったと言ってしまうのか。
本当に許されたいのなら、言っても無意味やんけ!
ってことを言いたいんです。少なくとも僕がそれを言われたらこのように思う。
しかし、上記の通り、世の中では悪気がなかったと言われれば「仕方ないよね」というふうになる空気が何故かある。少なくとも僕はそう考えてる。
はっきり言っとくけど、悪気がないという発言をすることは、本来は意味がないことだと皆が思う、そんな世の中の方が僕は良いと思ってるんだ。
もちろん、悪さの程度にもよる。
しかし、もう、簡単には済まされないような悪事を働いたら、たとえ故意だろうと過失だろうと同じ罪だと僕は思うのです。
まぁ、
じゃあ自動車事故におけるドライバーの過失は認めないのか、などといった話は、ちょっとまた違うよね。
それは状況によるところもある。
でも、いじめで子どもが死んで「故意じゃなかった」と言うのは本当にむごい。いじめた側が100悪いと思うのです。
こういうときに、「悪気はなかった」というフレーズが、何の意味もなさないような世の中になった方が僕は良いと思う。少し冷たくてもね。
ちなみに、加害者の年齢など考慮すべきという考えには僕は賛同しかねる。悪は悪だ。
……とか書いてきましたが、
前の記事で「自分の内面をブログ記事に反映させたい、そんな記事を書きたい」とか言っといて、実際今回の記事がそれに該当するかどうかは自分でもよくわからないな〜と思ったり笑
ただ、なんつーか、割と思った通りのことをひねり出せた感はあるな。今回は、ちょっとダークな内容だったけど、なんか書いてて楽しかった笑
これが僕の求めている方向性なのかは分からないけどね笑
ではあでゅー!