LGBTの話が世間では注目されてますよね。
杉田水脈議員の「LGBTの人たちには生産性がない」というような発言が炎上してますしね。
僕は、完全にLGBTは認められるべきだと思ってます。
そんなの自由やん!っていう、ただそれだけで終わっていい議論なような気もします。
そもそも、生産性がない人は生きてちゃいけねーのかよと思うし。基本的人権を無視していると思うよね。
また、「LGBTの人たちには生産性がない」という意見を聞き、思ったことがあります。
おそらく、この場合の生産性というのは「子どもを産まない」ということを表しているんだと思います。
確かに、身体上の同性同士で子どもを産むことはできないです。
たくさん子どもが産まれないと、ただでさえ高齢社会の日本は存続できないでしょうね。
そういう意味では、子どもを産む人が少ない社会は、国にとって問題です。
しかし、こうも思うのです。
LGBTが認められないような、個人の自由を侵害する国なんて、滅んでしまえと。
仮にですよ、仮にLGBTの人たちが子どもを産まないことが原因で日本という国が苦しくなるとしても、それでも、人が誰を好きになるかに介入するような国なんて、なくなってもいいと僕は思います。
これは、LGBTだけの問題ではないと思ってます。
例えば、女性を医学部に合格させないように試験結果を不正操作していること。
これには、国も関わってます。
確かに、病院の現場では女性医師が産休で業務を離れたり、そのまま辞めてしまうことは、問題かもしれないです。
だからといって、入試の公平性を厳守するというルールを破っていいのでしょうか。
そうでもしないと国が維持できないのであれば、そんなもん、滅んでもしかたないと思ってます。
国より大事なものって、あると思うんです。人の気持ちとかね。それを守ることは最低限のルールと言ってもいいでしょう。
でもまぁ、国が滅ぶとそれはそれで問題があるのも分かります。
そういう訳で、国家がなんとかするのがベストです。
つまり、LGBTや女性差別をなくしつつ、さらに国家をなんとか維持するのが、ベスト。
これがもし、理想論、夢物語だとするならば、守られる優先順位はLGBTの人たちの自由や女性の尊厳であり、国は二の次だと思うのです。
結構政治的な、そしてある種過激な内容について話してしまいましたが、
まぁ、僕の考えはこんなところです。
ではまた〜!多分今日はもう一個記事書くよ!(^^)
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