僕は平和が好きなんです。
基本的に皆好きだとは思うんですけど。
殺人鬼とか戦争をしたくてたまらない軍人とか以外はね。
全ての人がお互いを好きになって仲良くし、完全な平和を実現するのは事実上無理っていうことは歴史が証明しているとは思うのですが、
それでも、世界の人たちが他人に対しできるだけ「好きではないけど嫌いではない」という考えを持つ状態になればいいなと思っています。そうすれば争いは減るでしょう?
さてさて、今回考えていきたいのは、「共通点を持つ人は皆仲良くなれるか」ということです。
結論から言うと、僕の経験則では、共通点がいくつかあるくらいで人が皆仲良くなることはありえないです。
例えば、僕は音楽が好きなんだけど、だからといって音楽が好きな人全員と必ず仲良しになれる訳ではありません。
まあ、これは、ほぼ自明なことかもしれませんね。本来僕がわざわざ言うまでもないことでしょう。
ただし、何か共通点があることがきっかけになり、仲良くできるようになることもあります。
これは良いことだよね。上の僕の例で言うと、音楽が好きという共通点をきっかけに仲良くなった人はたくさんいる訳です。これは良いこと。
で、ここからが本題なんですが、「同じ病気で苦しんでいる」という共通点があることをきっかけに、SNSやブログなどを通じて仲良くなる人、今たくさんいます。
僕もツイッターをやっていて、双極性障害の人たちとつながりをもっている中の一人です。
ただしどうしても、僕と同じ病気でも「この人とはあんまり関わりたくないな」と思わざるをえないタイプの人も中にはいます。
これってしょうがないことだと思うんです。
それは上記で述べた通り、共通点があれば絶対に仲良くなれるとは限らないからです。
合わない人たちと無理やり好きになる必要はないと考えています。
しかし。
いくら合わないにしろ、僕がSNSを見てて、辛いなこれ、なんでこんなことするんだろう、と思うケースが一つあります。
それは、「双極性障害患者同士のいさかい」です。これが好きではない。
もっと具体的な説明を加えると、
「あなたは私に比べたら全然元気そうですけど本当に双極なんですか?」
「ふつう双極だったらそんなに外で遊べませんよね?」
「簡単に双極を名乗らないでください」
「双極ぶってるだけでしょ?」
などというやり取りをしている様子が、僕の目には地獄にしか映らないのです。
もちろん病気という共通点があっても、仲良くはなれないこともあります。それは別にいいんです。
でも、自分が双極で、この病気がどれだけ辛いか分かっているはずなのに、病んでいる(と自分で言っている)他人に「お前はそんなに元気なら双極じゃないだろ」と伝えてしまうと、言われた人はかなり苦しくないですか?
確かに、そう言われた人が実は双極じゃない(診断を受けてない)というケースもあるとは思います。
でも、そうじゃない可能性もあります。
どちらかは、SNSを見ただけでは判断しにくいですよね。
どちらか確実には分からないなら、人を傷つけるリスクを冒してまで伝えるべきではないと僕は思います。
障害者にとって、一番他人から言われたくないことばの一つは、「障害者に見えない、障害者じゃないんでしょ?」というセリフだと恐らく皆が思っているはずです。
これはしばしば、双極のことをあまりよく知らない健常者が言ってくるセリフだと思います。
僕はこれを言われるのが辛いのですが、「双極のことよく知らないからしかたないよね……」と思うことにしています(相手の態度などにもよりますが)。
しかし、双極のことをよく知っているはずの双極患者が、他の双極患者にその同じセリフを言った場合は、より地獄です。
言われた人は「この人は双極のことよく知らないからそんなことを言ってしまうんだろう。仕方ないね」と思うことができないのですから。ある種、逃げ場がないといえます。
やや話が本旨から外れるのですが、双極性障害って、100人いたら100通りの症状がある病気です。
例えば、うつでずっと家から出られない人もいれば、躁でまわりに迷惑をかけてしまって辛い人、調子がいいときにはふつうに外で遊んだりできる人、あるいはすでに寛解している人、など、様々です。また、そのときそのときにもよります。
自分の症状と比較して、他人が本当に自分と同じ病気なのかと疑る。
そこまではまだ良いとしても、実際に攻撃的なメッセージを送ってしまうのは、僕はなんかやだなと思います。
同じ病気という共通点を持っているからといって、仲良くしないといけない訳ではありません。僕もそれは無理。
しかし、自分に病気の辛い経験があるのだから、同じ病気の人に思いやりをもって接するのはかなり大切なんじゃないかな、と僕は思います。
以上、ほうふつでした!