双極バラエティ

こんにちは。双極性障害Ⅱ型の33歳男が日常をくだらないテイストで綴っていくブログです。

「双極性障害であって欲しい」という矛盾

前回の記事で、「私は甲状腺機能亢進症であり、双極性障害じゃないかもしれない」ということを書いたのですが、

 

血液検査の結果、甲状腺に異常はないことが分かりました。

 

なんと、前回のほぼおちゃらけ記事を読んで私の体調を心配して下さった方がいて、良心が多少痛みました笑 ご心配おかけし申し訳ありませんでした!

 

 

 

 

昨日から今日の検査結果を受け取るまでの間、私が思っていたことがあるので、それについて今回は書いてみようと思います。

 

ズバリそのこととは、「自分は甲状腺機能亢進症でなく、双極性障害であって欲しい」という思いです。この「思い」とは、考えというよりは感情的なものです。

 

 

これを読んで「ある疑問」を持たれた方がいらっしゃると思います。

 

 

その疑問とは、「さんざん双極性障害で苦しんできたとブログで言っているのに、双極性障害であって欲しいと思うのは、何故か」というものです。

 

 

これに対する私の答えを自分の中から導き出すのは、正直難しいです、自分でも、何故なのか、処理しきれていないというのが実際のところです。

 

しかし、一つ考えついた理由を書いてみます。

 

 

 

 

それは何か、というと、多分私は、現状維持がしたいのです。

 

より具体的に言うと、双極性障害である」という私のアイデンティティが失われてしまうのが、多分怖いのです。

 

 

恐らく、完全に病気が治ってしまうという形でそのアイデンティティが失われるのであれば、それはむしろ最高な事だと感じるはずなのですが、

 

症状が存続している状態で病名が違うもの(今回で言うと甲状腺機能亢進症)に変わるのは、なんだか怖いのです。

 

 

 

 

 

 

新しい病名になると、①症状に対応する方法(投薬その他治療など)、さらには②人間関係の連鎖という意味での社会の中での自分の位置づけのようなものが、恐らくそれぞれ変わってしまう、そう危惧しています。この2点について説明します。

 

 

 

まず、今まで私がしてきた、精神科での診察や、薬の飲み方が、がらっと変わるはずです。

 

変な話、私はこういった精神科治療というものを、「信頼」しています。これは、信仰という言葉にも置き換えらえる気がするくらい、私の中で強いものです。

 

はっきり言って、私に私の具合を良くするための医学知識はありません。つまり、私はなぜ今飲んでいる薬が自分に処方されているのか、医学的なレベルで言うと理解していません。

 

つまり、私は現在根拠なく、受けている治療を信用しているのです。

 

もし私が双極性障害ではなく、その治療が、私の本当の病気にとって本質的な対処ではなかったと判明したら。今まで自分の中にしっかりと構築されていた価値観のようなものが、瓦解してしまう気がするのです。

 

これは、ある種、自分が信じていた「教え」が全くの嘘だったとしたら、と恐れるような感覚に近いです。

 

 

 

 

 

また、今まで築いてきた人間関係の中での自分の立ち位置も、変わってくるはずです。

 

今まで家族や友達に、双極性障害、うつと躁を繰り返す人間、と説明して、その上で付き合いを行ってきました。

 

これはかなり自己感覚的な話になるのですが、もし違う病名になったら、今まで無意識にしていた「双極性障害を患うもの」としての振る舞いを捨て、違う病気の患者としての振る舞いをしないといけないような気がするのです。

 

そうなると、なんだか、人間関係のつながりという意味での社会での自身の位置づけが、不本意な座標に移動してしまう、そんな感じがするんです。

大分抽象的ですが、なにか自分の現状の人間関係に悪影響を起こすのではないか、と恐れているとお考え下さい。

 

 

 

 

 

 

よって、私の中にあった双極性障害であって欲しい」という矛盾した思いの理由は、上記によって一部説明がつくと思うのですが、あくまでも一部です。自分でも、よく分かりません。

 

 

 

 

 

ただ、今回一つ思ったのは、そもそも自分の中で双極性障害という病気は、今や完全にアイデンティティと化してしまっている、ということです。より厳密に言うと、「自分という人間にとって重要な個性となっている」ということです。

 

 

私は、最近まで、双極性障害という病気を、自分の本質に関わる個性という意味でのアイデンティティとは認めていませんでした。

 

それは、「病気は個性になりえないから」という単純な認識のもとでの考えでした。

 

しかし、「私という人間」において、「双極性障害」は良い悪いに関わらず、少なからず重要な成分として存在しているということを、今回の件で実感しました。

 

 

 

もう、この病気と自分は、簡単に切ろうとしても切り離せない、そんなところまで来ているのだ、と感じています。

 

 

以上、です!

今回はちょっと固過ぎたかな?読んで頂きありがとうございました!