よく、「若い時の苦労は買ってもせよ」とかいう言葉を見聞きすることがありますよね。
結論から言うと、私は「なんでわざわざこっちから買いに行かなあかんねん」という立場なのですが、今回はそのことについてちょっと書いてみようと思います。
私は、以前も述べましたが、無宗教者です。
神的なものも、あの世的なものも、全く信じてません。
ただし学問的な意味での「宗教」というジャンルは、結構好きだったりします。
例えば、旧約聖書と新約聖書とコーランを読み比べて、どういうところが違うか、とか調べたことあります。それぞれユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の聖書です。
まあ、授業でそういうことをやる機会があっただけで、純粋に自発的に調べた訳じゃないですけどね。でも、結構そういうの面白いと思うタイプです。
で、私は仏教については詳しくはよく分からないのですが、
手塚治虫の「ブッダ」という漫画を読み、初期の仏教の知識はある程度ついたと自分では思ってます笑
何度も言うように、私は仏教を含めた特定の宗教を信仰していないのですが、この「ブッダ」という漫画に出てきた言葉の中で、これは割と真理じゃないか、と思えたものがあります。
それは、「人生は苦行」というものです。
手塚治虫の「ブッダ」に出てくるシッダルタ(後のブッダ)は王子だったんだけど、その身分を捨てて、修行をするんだよね。
で、他の修行僧にならい、いっぱい苦しい修行を自らに課していくんだけど、一向に悟りが開けないのです。
そして、なんやかんやあり、「人生は、苦行なんかしなくても、そもそも苦行だ。わざわざする苦行なんて意味がない」ということを一つ悟ります。(なんやかんや、の部分を忘れました。えへ)
あくまでも漫画の中の仏教の話だし、私が仏教そのものに傾倒してると思われるのは不本意なのですが、この「人生は苦行」ということは、今までの20数年の人生経験から、それは確かに!と思えます。
私は、世間から見るとまだ若い部類に入ると思います。
ただし、望んでもなかったのに苦労はいっぱいしてきている自覚があります。その最たる例が、高2の時に双極性障害になっちゃったことなんですけど。
人は、大なり小なり苦痛を抱えながら生きていると私は思ってます。わざわざ買ってまで苦労なんてしなくても、生きるって十分苦しいと思うんだよね。
あと、なんだろう。若い時の苦労は買ってまでしろ、ていうふうに、若い人限定なのが単純にむかつく、というのもあります。
あくまでも推論ですが、こういうセリフを言う年上の人たちって、若い人たちがそんなに苦労していないという前提のもとで言ってると思うんだよね。
以前にもこのブログで書いたけど、小学生が今までの人生で一番辛かった、っていう人もいる訳じゃないですか。学校とか部活とか、あるいは恋とか、その他辛いことを、若い人はその人なりに経験してるんじゃないかな。
あと、特にいじめの問題については、むしろ働き始めてからより学生時の方がタチが悪い場合が多いよね。いじめる側がまだ年齢的に未熟とされ、法に守られてる面が大きいからね。
あとね。この「若い時の苦労は買ってもせよ」という言葉が使われるタイミングって、実際には大体「若者がまさに苦しんでいる時」だと思うんです。
要するにこの言葉、実際には「若いお前が今苦しんでることはいいことだ、だから逃げるな」という意味で使われることが多いと思われるんですよね。
経験論ですが、私は、逃げられる苦痛からは逃げていいと考えます。
無理した結果、からだをこわしても誰も責任取ってくれないから。
という訳で。
「若い時の苦労」はわざわざ買う必要ないと思います!
そんなに苦労が大事だと思うなら、年とっても自分で苦労買いにいけば?売れるもんなら僕がメルカリでどしどし売ってあげるよ!って思います。
苦労するのは美しい、将来のためになる、みたいな考えは私は嫌いです。そんなことわざわざしなくても、人生は苦しいことがいっぱいあるよね!
以上、就寝前の息抜き記事でした。
最近なぜか嫌な夢ばっか見るんだよね。ちょっと寝るのが怖いのです。だから、息抜きなんですこの記事書いたの笑 ではでは!