双極バラエティ

こんにちは。双極性障害Ⅱ型の33歳男が日常をくだらないテイストで綴っていくブログです。

くたばれ作文コンクール的なやつ

以前、「小学生のお誕生日会はこの世から絶滅した方がいい」という記事を書きました。

 

今回はその記事と同じ趣旨の記事です。

 

その方向性がどんなものなのかは、その記事(上記リンク先)の冒頭をちょっと、ほんのちょっとだけでも読んで頂ければ分かることなんですけど、あれじゃないですか。

 

私って、重々知っているじゃないですか。

 

 

このブログの読者さんたちの9割が、「わざわざリンク先に飛んで他の記事を確認する」、なんていうくそ面倒くさいことをしないことを。

 

 

そんな、面倒くさがりだけどちょっぴり憎めないあんたたちのために、その記事で書いたことを以下で復習するからね!

 

後で、リンク先の記事をちゃんと確認した残りの1割のお友達にごめんなさいするんだよ!いいね?

 

 

以下抜粋!

 

 

 

双極性障害だからという訳ではないのですが、私には「思い出し怒り」というのがありまして。何気なく昔あった出来事を回想していたらだんだん腹が立ってきて、しまいにはさも今その出来事に直面しているかのような憤怒を覚えることがあるのです。

 

これは一般に言う「思い出し笑い」の怒り版とはちょっと違います。

思い出し笑いの場合は、面白いことがあった当時のことを思い出してまた笑う、というのが普通だと思うのですが、我が「思い出し怒り」は、嫌なことがあった当時のことを思い出して怒るのに加え、当時特に怒っていなかったのに今あらためて考えてみたらはらわたがブレイクダンスし始めるほどむかつく、という現象も含みます。

 

 

 

 

つまり、今日、思い出し怒りという「発作」が今再び、私に起きている訳ですよ。

 

ただしその時と違うのは、

 

今日の方がより感情的になっているということですね。

 

さっそく話の中身にいきましょう。

 

 

 

 

まず、作文コンクール的なやつってあるじゃないですか。

 

小学校でも中学校でも高校でも、優秀な作文を書いたら入賞作品として廊下の壁にはられたりとか(⇐今の学校ではそんなのないのかもしれないですが)、場合によっては都道府県とか国に表彰されたりするやつ、ありますよね。

 

そういった類のものすべてをここでは「作文コンクール」と呼ぶことにします。

 

で、結論から言ってしまうと、私、よく記憶をたどってみたらそういうの一回も入賞したことないんです。それがこう、どうも納得いかないんですよね。

 

「え?まさか今回の記事って、そんなくだらないことでキレてるっていう話?そんなわけないよね?」と思うじゃないですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところがどっこい、そうなんだな。

 

 

 

 

今、私のなかの「納得いってなさ」が凄まじいことになっていてですね。

 

あまりの怒炎で汗が蒸発、リビングの飽和水蒸気量マックス、みたいなことになっているんだね。

 

さて、中途半端に不出来な韻を踏んだところで、これについての私の文句を語っていきますか。

 

もう今日の僕は、論理的思考などカケラも持ち合わせておりませーん!

 

ガンガン感情論で推し進めるからな!覚悟してよね!

 

 

 

 

 

 

 

...ていうか、ここで言っときたいんだけど、あなたたち他人ごとだと思ってない?

 

特に、はてなブログで読者数3桁とか余裕でいってる腕利きブロガーの方々に言いたいんだけど、

 

俺らの作文が一度も入賞しなかったの、おかしくない?

(※前提として、あなたたちの作文も全落ちしたことになっています。)

 

おかしいよね!?絶対おかしいよ!

 

それは、私たちの作文が優秀だった、とかじゃなくて、

 

入賞してる作文が大体ゴミ

 

やんっていう話よ!

 

ああいうのが通って、私たちのが一回すら通らないって、どういうことなん!?

 

こんな不条理なこと、作文コンクールと、のど自慢の合格審査以外なくない!?ないよね!?

 

 

 

 

 

 

・・・ただね。実際はなんとなく分かってるんですよ。なんで私(たち)の作文が全落ちしてきたかっていうことは。

 

 

ある種、「本当のこと」を書き過ぎていたんだね。前回の記事の、いじめについての作文しかりね。

 

 

なんというか、こう、先生とか教育委員会とかにウケるものは書けなかったんだね。

 

 

 

でも、私はいつも作文を書き終えた時、こう思っていた訳さ。

 

「おいおいこれ、うちの学校史上最高傑作じゃん!」

 

ってね。こりゃとんでもないもんできちゃったな、てね!

 

で、その最高傑作が見事落選した後、都道府県に表彰されるメンバーの作文を読むことになるんですよ。大体そういうの、学年でシェアされるからね。

 

で、

 

こんなんただのゴミやん!

 

っていつも思ってたよね。唇ワナらせながらね。

 

以上、小中高の作文コンクールはくたばれ、という話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・ではさすがに終われないので、もうちょっとだけ私の話を聞いてください。

 

 

 

 

それは高校一年生の時でした。

 

 

 

入学したばかりの時期、「クラス対抗弁論大会」なるものが開催されることになりまして。

 

何らかのテーマ(忘れた)でクラスで優秀な作文を書いた生徒1名がその大会に選出され、学年の生徒全員の前でその内容を踏まえ弁論する、というイベントがあったんですよ。

 

で、いつものように自分史上最高を更新する出来の作文を書くわけじゃないですか。

 

 

当然落ちますよね。

 

 

でもまあ、自分の作文が入賞されないのおかしいみたいなここまでの流れでこんなこと言うのもなんですけど、正直、「そりゃそうだよね」と思う訳です。

 

さすがに高校生まで来たら、落選するのが当たり前になってきてしまっているもの。

 

そして、結局クラスの別の子が弁論大会に出場して、学年全員の前で色々論じてました。

 

 

 

 

そして一年半後の高校2年生の秋に、ちょっとこのギャグっぽい流れでこんな話するのもなんですけど、双極性障害のうつが初めて発症したんです。学校に行けなくなりました。

 

それで、不登校になったことがある人なら分かると思うのですが、不登校になると担任の先生と自分の親がたくさん話し合うんですね。自分のことで。

 

 

1年生から2年連続で私の担任だった先生は、私のことを良く見てくれていました。仲もよくて、余談ですが今でもたまにばったり会うと昔の話をします。あの時は大変だったよね、とか。

 

 

で、そんな高2のうつ真っ盛りの時、学校でその担任の先生との面談を終えて帰宅した母は、私はあと最低何回授業に行けば留年しなくても済むとか、保健室登校でも出席にカウントするとか、そういう話を担任の先生としてきた、と言いました。

 

そして、「あんた、一年生のはじめの時、弁論大会っていうのがあったの覚えてる?」と母が尋ねてきたので「うん」と答えると、

 

「あれ、本当は先生はあんたの作文が一番いいと思ったって言ってたよ。『文章の筋が通ってた』って。でも、あんたは大勢の前で話したいようなタイプじゃないと思って、二番目に良かった人を選んだんだって」

 

と言ったのです。

 

 

 

 

 

正直、そんな話されても、その時はうつで生きるか死ぬかの精神状態なんで、特に何も感じなかったです。

 

 

ただ、今思い返してみると、やっぱり嬉しい。

 

 

もちろん、文章を評価してもらえていたことも嬉しいんですけど、私の人前で緊張しやすい性格を見抜いて、あえて選ばなかったという担任の配慮が、その気持ちが、何より嬉しかったんです。

 

変な話、先生によっては単純にいい作文を書いた生徒を壇上に上げる判断をしますよね。でも、それが生徒のためにならなかったりもする訳です。正直、私も高1のとき、作文はしっかり書いたものの、絶対弁論大会なんて出るのやだ、とは思っていました。

 

恐らく、変わっている性格だからだと思うのですが、私には自分を理解してもらえているという実感がわく機会が少ないです。

 

ただしその分、誰かが自分のことをちゃんと理解してくれているということが分かると、多分人一倍嬉しいと感じるのです。

 

そういう機会を与えてくれたという意味では、弁論大会のための「作文コンクール」も悪くなかったな、と思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、散々前半で「作文コンクールはくたばれ」と述べていたにも関わらず、最終的に「悪くないよね」と意見を180度変えるようなこの私を、

 

 

 

 

「文章の筋が通っている」と褒めた我が人生最高の恩師に、私は言いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あんたの目は、節穴かい?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、くたばれシリーズ第二弾でした!バイバイ!