私が確か小学生6年生の時、「いじめについてどう思うかの作文を書きましょう」という授業がありました。
クラスみんなで図書室に行って、色々ないじめについて学ぶための本、いじめられた経験をつづった物語などを読みました。
私は、いじめられた経験がその時にはありませんでした。少なくとも認識はしていませんでした。
ひょっとしたら、知らないうちに他の子に嫌な思いをさせていた側にむしろ入っていたかもしれないです。
私は図書室でどんなに本を読んでも、一生懸命考えても、いじめを受ける子の気持ちが分かりませんでした。
そして私は、「僕にはいじめられる子の気持ちが分かりません。いじめられたことがないからです。」という内容を書いて、できた作文を先生に見せました。
すると、先生は「ダメよこんな内容」と言って、私に書き直すよう言いました。
その後何を書いたか覚えてないのですが、確か思ってもないようなことを適当に書いて400字を埋めたような気がします。
私が大人になった今、当時のその先生の「書き直しさせる」という判断は、絶対に間違っていたと考えています。
それは生徒の自由な意見をどうのこうの、とかいう話ではなく、「小学校の先生として、一人の大人として、いじめという問題にもっと真剣に向き合えよ」、という視点においてです。
その先生は、私が、一人の生徒が、いじめに関する本を何時限もかけてたくさん読み、知識や経験が足りないなりに一生懸命考え、それでもなおいじめを受ける子の気持ちが分からなかったという残酷な現実に、目をそむけた。
こんなにも、子どもが他人の立場になってその気持ちを理解するというのは難しいのだ、という事実を見ようとしなかった。
いや、ひょっとしたらそれを認識することすらできていなかったかもしれない。
ハッキリ言って、彼女はいじめの問題をナメてたよね。そう思います。
また、私はいじめの定義がよく分からなくていつも混乱する。
大人になってもいまだに、何がいじめで、自分は誰をいじめ、誰にいじめられてきたのか、よく分からなくなる。
前職においても、派遣先の上司にまぁまぁの頻度で嫌なことを言われていたけど、それが自分がいじめられていることになるのか、それはいじめではないのか、よく分からないままで、お別れした。
非常に根深い問題なんだよね。
当たり前なんだけど。
ただ、子どもが、他人の気持ちを考えることが難しいという残酷な一面を持ちうるっていうことは、もし学校でのいじめをなくしたいのであれば認識してほしい。痛いかもしれないけど、直視してほしい。
まずはそこからだと思います。
なーんて、眠れないからブログ書いちゃった。双極と関係ないね。でも、ほんとにそう思うよ。
おやすみなさい…