双極バラエティ

こんにちは。双極性障害Ⅱ型の33歳男が日常をくだらないテイストで綴っていくブログです。

くたばれお誕生日会

双極性障害だからという訳ではないのですが、私には「思い出し怒り」というのがありまして。何気なく昔あった出来事を回想していたらだんだん腹が立ってきて、しまいにはさも今その出来事に直面しているかのような憤怒を覚えることがあるのです。

 

これは一般に言う「思い出し笑い」の怒り版とはちょっと違います。

思い出し笑いの場合は、面白いことがあった当時のことを思い出してまた笑う、というのが普通だと思うのですが、我が「思い出し怒り」は、嫌なことがあった当時のことを思い出して怒るのに加え、当時特に怒っていなかったのに今あらためて考えてみたらはらわたがブレイクダンスし始めるほどむかつく、という現象も含みます。

 

そして昨日、今よく考えてみたら無性に腹が立つとある出来事が一日中私の頭の中を支配し、普段から「ほうふつくん人生で怒ったことないでしょってくらい優しいよね」「菩薩だよね」と言われている私も、昨日ばかりは不動明王のごとく、背中のガス火で気に障るもの全てあの世にバーベキューしたい衝動に駆られていました。その出来事こそが、今回の記事のタイトルでも言及しております通り、小学生の時のお誕生日会なのです。

 

今回は、私が小学生時代にお呼ばれした友達のお誕生日会での経験を合わせ、なぜ私がお誕生日会の開催に反対なのかを説明します。

 

(ここで、本日の記事は、小学生の息子さん・娘さんがいらっしゃるお誕生日会マネージャーの方々、お誕生日会お呼ばれフリーク(自分の息子・娘がお誕生日会に呼ばれるのが大好きな親)の方々を一挙に敵に回す内容となりますことをお断りしておきます。)

 

とにかくお誕生日会の存在にNOを叩きつけたい、その思いで今回は記事を書きたいと思います。(※双極性障害ブログです。)

 

ただし、お誕生日会と一口にいっても色々な形があります。私が昨日の昼14:00頃から勝手にキレているお誕生日会とは、「子供の誕生日を祝う会」にあてはまる全てのイベントを指している訳ではありません。

ここでは、下記の条件を満たすイベントを「私がこの宇宙から消滅してほしいお誕生日会」(以下、〈お誕生日会〉)と定義します。

 

 

〈お誕生日会〉の条件

条件1:小学生以下の子供の誕生日を祝う

条件2:親が主催

条件3:プレゼントを渡すことをあらかじめ禁止しない(ごく少額でラインを決めてやるのは除外)

 

 

ではいきます。まずは私の小学生時代の話です。

 

小学4年生の時、とても仲が良いクラスメイトがいました。(A君とします。)A君とは学校でいつも2人で遊んでいて、何をするにもお互い一緒にしたがる、席替えでも同じ班を選ぶ、トイレに行くのも一緒という、ある特定の見る目から見たら非常においしいと思われる関係でした。

 

そんなある日、A君が私に「俺のお誕生日会をするから来ないか」と言ってきました。私は誘ってもらえたことがうれしくて、「うん、親にいいか確認してみる」と答えました。

 

(余談ですが、〈お誕生日会〉のトラブルで一番多いのは恐らく「なんでうちの子が呼ばれてないの」論争だと思います。このことは今回の私の主旨に関係していないですし「うちの子が呼ばれてない」と自分の親が言っていたのを見た記憶がないのでこれについて関心は強くないのですが、これはこれで闇の深いテーマだなと思います。)

 

帰宅した私が母にA君のお誕生日会に行く許可を申請すると、母は「プレゼント買っとくから」と言いました。こうして、晴れて私は〈お誕生日会〉に参加することとなったのです。

 

数日後、お誕生日会の日になり、私は母が買ってきてくれたプレゼントを持って一人でA君の家に行きました。お呼ばれされたのは私含め6人ほどだったと思いますが、その全員が揃うと、例のハッピーバースディの歌とろうそくの儀式があり、ケーキを食べました。

 

その後はわいわい言いながらテレビゲームをしたり、ボードゲームをしたりと、小学生たちが日常的にやっている遊びを続けました。また、A君のお母さんやお呼ばれした子供のお母さんたちはなにやら世間話をしていました。(私の母は行ってませんでした)

 

そして外が暗くなり始めた頃、もうそろそろお開きにしましょうということになりました。お母さん達が「帰る前に、皆A君にプレゼントを渡そうね!」と言ったので、子供たちは各自隠し持っていたデパートの包装紙に包まれたブツを取り出し始めました。そして、最初にある子供が「誕生日おめでとう!」と言ってそれをA君に渡しました。ありがとうと言ってA君がその包みを破った時、私の目には信じられないものが映ったのです。

 

 

その子がプレゼントに持ってきたものは、ゾイドでした。

 

 

ゾイドを知らない方のために簡単な説明をしておくと(私は持っていなかったのであまり詳しくなく、説明になるか不安ですが)、恐竜や動物(虎など)を模した機械兵器の玩具で、電動もするという、当時の男子にとってはおもちゃ中のおもちゃでした。

 

カッコいい箱に入ったゾイドを見て、他の子たちは「わぁ、ゾイドかーいいなぁ!」などと興奮していたのですが、私に限っては胃の中にシーブリーズを噴射された人かのごとく神経が冷たくなっていました。また、他の子たちがプレゼントとして持ってきたベイブレードやビーダマンなどのおもちゃがフローリングに展示されていく中で、「大変なことになったぞ...」と思いました。

 

 

なぜか。

 

それを一言で説明すると、私が持ってきたプレゼントが

「ミッキーとミニーのジグソーパズル(小)」

だったからです。

 

 

 

 

 

私としてはこの説明が全てを物語っていると言えるのですが、中には「パズルの何がいけないの?」となる人もいるかと思います。

 

友達がゾイドで自分がパズルで何がいけないのか。これについてあえて解説を加えるとすると、当時の私(普通の小学4年生)の目線では、「ゾイドベイブレード・ビーダマン⇒おもちゃ」なのに対し、「パズル⇒おもちゃ?」だった、ということになります。

 

私は、自分が持って行くブツがパズルであることは最初から母に聞かされていました。ただし、当時の私には「パズル⇒おもちゃ?」という認識があったにも関わらず、実際にゾイドベイブレードが開示されるまでは全く問題を感じていませんでした。

 

何故かというと、私は当然他の子たちも「おもちゃ?」レベルのものを持ってくるだろうと考えていたからです。所詮は小学生の誕生日会だ、とタカをくくっていたのです。

 

まさか、他の子たちが、もっと正確に言うとその親御さんたちが、たかが他人の子どもの誕生日に主戦級のおもちゃを用意してくるとは想定していなかったのです。

 

他の皆がプレゼントのおもちゃの話題で盛り上がる中で、私だけがプレゼントを渡せずただただ突っ立っていたときのことは、今でも鮮明に覚えています。

 

 

 

 

しかし、この話にはまだ続きがあります。

 

帰り際になり、プレゼントを渡さずに帰る訳にもいかず(親に死ぬほど怒られるから)、私は観念してパズルをA君に渡すことにしました。

 

私は周りの友達が見ていないタイミングで、小さい声で、「実は俺もプレゼントあるんだけど...」と打ち明けました。

 

そして、A君に包みを渡すと、「開けてみていい?」と言われたので、うなずきました。

 

 

すると、A君はディズニーのパズルを目にした後、

 

「ありがとう!俺パズル好きなんだ」

 

と言ったのです。

 

 

 

 

 

 

この言葉を聞いて、私は心から安堵しました。なんだか救われた気分になりました。

「小4にもなってこんなのもらっても...」という反応をされる未来しか見えていなかったからです。A君のこの言葉が本音であったとしてもそうでなかったとしても、私にとっては関係がないことでした。

 

実際に、パズルのプレゼントをした後もA君との仲は以前と同じように良かったので、A君は私からのパズルのプレゼントが本当は嫌だったとしても、私との友情を取ったことになります。

 

 

要するに、結果としては、大事に至らずに済んだのです。

 

 

 

 

 

と、ここまでが実際にあった出来事です。

 

「なんだ、ハッピーエンドじゃん!」と思われる方もいらっしゃると思いますが、私が真に言いたいこと、つまり、思い出しギレしているポイントはここからです。

(あと少しですのでお付き合いください。)

 

 

昨日、ふと上記の体験をしたことを思い出し、私が思ったのは、

 

 

 

 

「なんで子どもがこんなに気を使わなあかんの」

 

 

 

ということです。

 

 

この「気をつかった子ども」というのは、他の子たちのプレゼントと自分のものを比較して精神を削った当時の私のことです。(本当は要らないプレゼントをもらってありがとうと言ったのだとしたらA君も含まれます。)

 

当時私はA君の〈お誕生日会〉で辛い思いをしたのを誰のせいにもせず、ただ傷つきました。しかし、大人になった今あらためて考えると、あの時の私の胃にシーブリーズを直射したのは、〈お誕生日会〉をマネージメントした大人たちだと思うのです。

 

それに、まだ私の場合は「おもちゃ?」なものでも親が用意してくれたから良かったかもしれません。おうちによっては、プレゼントを用意しないかもしれません。これについては親のお金の事情もあると思いますが、それと同じかそれ以上に「小学生の誕生日会」というものをどのように捉えているかが影響すると思います。

 

ちなみに、当時の私の母も色々と考えたと思います。(A君に呼ばれた〈お誕生日会〉に行かせないのは私がかわいそうだけど、かといってたかが小学生(他人)の誕生日プレゼントに本気のおもちゃを持って行かせるのは違う、よって「行かせてパズル」が妥協点だ、など)

 

 

 

以上、大分長くなりましたが、まだ10歳やそこらの子どもがこんな悲しい経験をする可能性があるくらいなら、〈お誕生日会〉なんてこの世界からなくなってしまえ、という話でした。

 

この記事を書いたことによって思い出し怒りがやっと発散でき、心がすっきりしました。最近は病気のせいか、薬のせいかは分かりませんがあまり夜眠れないことが多いのですが、この記事での発散のおかげで今日はばっちり眠れそうです。

 

明日からはこれまで通りの菩薩スタイルに戻ります。どうぞよろしくお願いします。

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