どうもほうふつです。
僕は、他人に自分の哲学を押し付けるのは好きじゃない。
その人その人に、考えというものがある。自分がそれを無理やり破壊し、仮にそれでその人が失敗して落ち込んだ時、責任を取れないからだ。
しかし、自分に子どもができたとき、どうしてもこれだけは「強制」したいことがある。
それは題の通り。「美しく生きろ」ということだ。
どんな人生を送ってもいい。
失敗してもいい。
自分の好き嫌いを、はっきり自分の中で把握できる人になってほしい、そして自分が美しいと思うことを曲げるようなヤツに育ってほしくない。そこは、譲れない。
で、僕はできれば家訓にしたいことがある。3つある。
これは、強制はしないけどできれば実行してほしいことだ。
まず1つ目。
「散り際は美しく」
僕の祖母は今、死にそうだ。
で、生にしがみついている。
もうミイラみたいな体で、それでも毎日のように母に電話をかけてきて、「あれしろこれしろ」と言ってきている。
僕は、大切な家族や親友に、自分が苦しみ迷惑をかけるようなことは絶対にしたくない。
死ぬのが怖いのは分かる。
しかし、僕の中ではそれは美しくない。
よって、自分は美しく死にたい。まわりにできるだけ迷惑をかけたくない。
それが、最近培われた僕の美学だ。
そして2番目の家訓にしたいこと。
「兄弟姉妹でお金の貸し借りは絶対にするな」
これは正直、かなり守ってほしい。
うちの父は、父の兄(僕から見たら叔父)と絶縁している。
成功しているように見えるうちの家族へのひがみもあるが、それを加速させたのはお金の問題だ。
一円たりとも。
兄弟姉妹で貸し借りはして欲しくない。
仲良くしろとは言わない。嫌いでもいい。
しかし、絶縁するのだけはやめて欲しい。
親(僕から見たら父方の祖父母)の葬式で会うのが嫌だとか、そんなふうな事態は絶対に避けて欲しい。
これは、自分の哲学だ。兄弟姉妹で絶縁するほど美しくないことはないかもしれないとさえ思う。
で、3つ目。これが最後になる。
「子どもは勝手に親が生んだ」
「お母さんお父さんのおかげであなたは生まれてきたのよ」
「私たちが生んであげたんだから、親を敬いなさい」
はっきり言う。
親を敬う必要など、ない。
子どもが自身の意志で親を尊敬することを否定する訳ではない。
むしろ、それができるならいいと思っている。
しかし、毒親を、自分を「生んでくれた」「育ててくれた」などというように思わないといけないルールなど、あってはならないと僕は思う。
僕は自分に子どもができたら絶対に言う。
「俺とお母さんが勝手にお前を生んだ」と。
自分が勝手にやったことを勝手だと思うことから逃げる。そして、何か嫌なことがあったら全て子どものせいにする。
これほど美しくないことが、あるだろうか。
子どもには、子どもの美学を持ってほしい。
それを曲げて生きてほしくない。
これは僕のわがままだ。
しかし、できれば家訓にしたいと思っている。
最近、母方の祖母だけでなく、父方の祖父母の体調もかんばしくない。
そう遠くないうちに、死を迎える。そんな現実を、僕は今目の当たりにしている。
生き方、そして死に方。
美しくあってほしい。それが切なる願い。
……オチなし!笑
読んでくれてありがとうございます!