数日前ツイッターをやっていると、私のタイムラインに以下のリツイートが流れてきました。
「一日練習しないと取り戻すのに三日かかる」は呪いの言葉です。これを信じると呪われ、健康が損なわれます。
— 高橋秀典 (@hidefl2710) 2017年9月24日
こんな根拠に乏しい言葉で生徒を毎日部活に縛りつけ、テスト勉強や睡眠時間を侵食させて何になるのでしょう。
適切な休息が心や体の余裕を作り、結果的に効率良い上達につながるのです。
こちらのツイートをされた高橋さんは元中学校教諭で、現在吹奏楽指導をされているとのことです。
私は中学・高校と吹奏楽部に所属していたこともあり、上記のツイートを読んで色々と思うところがありました。色々と思い過ぎて、自分の頭の中でも考えの整理がついていないのが気持ち悪いくらいです。今回は、自分の考えの整理をするという意味も含め、上記のツイートや私自身の体験をメインとして話に引き出しつつ、最後に少し双極性障害その他の精神疾患と部活動についての私の意見を書こうと思います。
(できれば、上記のツイートをされた高橋秀典さんのアカウント
をざっとでも見てから以下の話を読んでもらえたら、本記事の内容をよりクリアにとらえてもらえると思うので、私としてはありがたいです。)
ではいきます。まずは、私の中学・高校時代の話です。
すでに書いたように、私は中高6年間吹奏楽部に所属していました。ちなみに、楽器のパートはパーカッションです。
私においては、中学でも高校でも、部活への取り組み方は高橋さんのツイートにあるような「一日練習しないと取り戻すのに三日かかる」ということを前提にしたもので、ほとんど土日祝関係なく、夜の校舎の戸締り時間ぎりぎりまで練習をしていました。一言でいうと、「バリバリの部活生」でした。
中学から高校2年生の途中までは、そのことを多少辛いと思ったことはあるにしろ、辞めたいとか、土日休めないのおかしいとか、考えたことはありませんでした。
厳しい練習環境だったとはいえ、単純に楽器を毎日やれるのが楽しかったし、私は部活の醍醐味というのは「勝つ」ために練習することだという考えだったので、吹奏楽コンクール前の過酷な練習スケジュールも不満なくエンジョイできていました。もっと言うなら、「あたりまえ」でした。
高校2年生のある日、人生ではじめてうつ状態になり、学校どころではなくなりました。
それが、双極性障害という、うつと躁を繰り返す病気の発症の時だったのですが、この病気の性質上診断には数年かかるので、最初の診断は確か「抑うつ状態」とか「適応障害」とかになりました。ややこしいので便宜上、以下は私は「うつ」だったということにして書きますね。
発症原因は、よく分かりません。クラスに馴染めないまま登校を続けてストレスで脳がなにかおかしくなってしまったんじゃないかとは思います。ただ、そもそも脳に問題があったのでクラスに対してマイナスのイメージしか持てなくなっていて、その脳の「問題」がより激しくなった結果うつになった、という可能性も否定できません。双極性障害という病気は、今でもよく分かっていないのです。
学校に行かないといけないのに行くことができない、怖い、死にたいという気持ちが強かった。どれくらいかというと、多分この先何が起きてもその時の辛さを超える辛いことはないと今でも思うほどです。
そして、部活に行けないということに苦しみました。
それまで、部活は毎日行くものでした。しかしある日、行けないものになりました。
体のすべてがちぎれるくらい自分を責めました。
それは、練習できないから、学生指揮としての役割を果たせないから、上級生として後輩に示しがつかないから、こんなんじゃ大会で勝てないからなど、探せばいくらでも細かい理由はあるのですが、一言でいうと、部活とは行くものだから、でした。
今になって考えてみると、高橋さんのツイートを引用すると、私は、中学で吹奏楽を始めてからずっと、「毎日部活に縛りつけ」られていた、ということになる...
クラスは嫌でも部活は楽しかったので、うつになったのは部活のせいではないです。これは言っておきたいところです。
ただ、うつになったことで部活にいけなくなったことへのストレスは、部活というものが私を縛りつけていたからです。これを私は、認めます。
もし私の入っていた部活が生徒の生活や意識を縛るものでなかったら、高2のうつの時のストレスは軽かった。私はこのことを認めます。
ただ、ここでそんな簡単に話が終えられるのであれば、高橋さんのツイートは数万回もリツイートされないのです。
つまり、では「縛る」部活は悪なのか、です。
私はうつになって数か月してからちょっと体調が戻ったので、クラスには復帰しなかったものの、部活だけ参加するようになりました。
すると、部活の顧問に「ちょっと来い」と呼び出されました。
私は、怒られるのだと思いました。授業に行ってないのに部活だけ来るんじゃない、と言われるのだと思いました。
二人だけの部屋で、顧問は「お前は今の自分の状況をどう思っているんだ」と聞いてきました。
私は、「部活だけ来ているのはいけないことだと思っています」と言いました。
顧問は、「それは思う必要ない。俺は部活は授業と同じくらい大切なものだと思っている」と言いました。
そこから先、多分五分くらい喋っていたのですが、二人で泣きすぎて何にも覚えてないです。
高校時代、私のいた部活が「縛る」部活だったのは、はっきり言ってその顧問のせいです。
そしてその部活の「縛り」は、私がうつ状態の時、自殺するか迷うほどのストレスを感じた原因の一部です。
しかし、そんな「縛る」部活の顧問が、文字通り泣くほど私という生徒のことを考えていたのです。
一般に言って、「縛る」部活を作ってしまっているのは、業界とか社会とか通念といったあいまいなものと言うこともできると思いますが、やはり一番は顧問です。顧問が故意に生徒の意識や生活を縛るつもりはなくても、顧問自身の部活への情熱や部員である生徒の充実した学生生活のために厳しいと言える部活方針を設定し、結果的に生徒を縛ってしまっていることはあるでしょう。その「縛り」は時として、生徒の健康を侵しますし、その責任は顧問にあります。
ただ、私はそれを理解しているのに、当時「自分を縛った」顧問が自分のことを涙を流して考えてくれたという事実が、深い感動として、また、「その部活にいて本当に良かった」と今でも思う理由の一つとして、自身の記憶に刻み込まれているのです。
この経験があるため、「縛る」部活(顧問)=悪 と言い切ることができない、というのが本件での私の立場です。
ただし一方で、「縛る」部活(顧問)=悪 と言い切ることができたらどんなに簡単だろうか、とも思うのです。本当はそう言い切りたいのです。
なぜなら、このような「縛る」部活が、双極性障害やうつ病、その他の精神疾患を引き起こす原因になりえない訳がないからです!
本当は、双極性障害を抱える身としては、学生の皆さんに「精神的にストレスがかかることからは全て逃げろ、悪だから」と言えればいいのですが、私からは「部活」に関してはそれが...
感情が、それを言うことを邪魔してくるのです。
ある種、私はいまだに部活に縛られていると言えるのかもしれません。
本記事は以上となります。
今までの記事の中で、一番書くのが難しかったです。
長文読んで下さりありがとうございました!