私は、無宗教者です。
親の実家に仏壇があるため、考え方によっては仏教徒と言えるのかもしれませんが、自分としては全く宗教というものをアイデンティティに感じていないつもりです。
ただし、宗教心から生み出される建築物、絵画には心を打たれるものがとても多い。この心、という言葉も自分としては精神伝達物質ボリュームの揺れだと考えていているのですが、それが揺れ動く、という意味で感動させられる機会は多いです。
私は留学で、とある宗教色の強い国に住んでいたことがあるのですが、その国の人が作り出してきた作品はとても美しいものが多かったです。
宗教によっては過激なものと偏視されるものもありますが、そういった宗教の信者たちの信仰心から生み出される素晴らしい作品は、こんな世の中でもしばしば評価されている。
私は無宗教者だけど、他の人が何を信仰しようが勝手だと思っています。それどころか、美しい作品を生み出す源がそういった人たちの信じる宗教にあるのだとしたら、敬意すら払わずにはいられない、そう思う時があります。
それだけに、宗教同士の争いで、素晴らしい建築物などの遺産がいとも簡単に破壊されてしまうのは、とても悲しいです。
私がこんなところでこんなことを言っても何になるのか分かりませんが、とにかく、これは誰かに言っておきたいんだよね。
面接とかで宗教の話をするのはタブーとされているんだけど、宗教の話イコールなんか危険、という思考は、ある種人としての視野がせまいことによって生まれると言えると思っています。
障害者差別や性的マイノリティの差別など、偏見によってつくり出される差別のカテゴリーは多いけど、それらは結構解消される傾向にはあると考えていています。
しかし、日本ではそれらに比べると、宗教心が強いことがアンチの対象になることが多い、気がします。
それは、例えばISなど、一部の愚かな過激グループを、宗教心そのものが悪かのように報道しがちなメディアにも責任は無くはないです。そう思います。
ただ、やっぱ難しい問題だよね。
私はエル=グレコという画家の作品が好きなんですが、私は、彼が描く美しくてどこか並外れたなにかを感じさせる宗教画を見ると、もう、宗教の存在が悪いものだなんて全く思えなくなってしまいます。
単純に、美しいものは、美しい。それだけでいいと思うのです。