双極バラエティ

こんにちは。双極性障害Ⅱ型の33歳男が日常をくだらないテイストで綴っていくブログです。

双極性障害と大学受験の思い出

ほーふつです。特に冒頭茶番なし。


今回は、高校3年生の受験期から一浪して大学に入るまでの僕の大学受験の思い出を書こうと思います。書くったら書く。


高校2年生の秋から双極性障害になり、受験にも双極がかなり影響したので、受験と病気の絡みを中心的に記していきます。


それではレッツゴー!





・高校3年生初期

高校2年生の時、初めて人生でうつ状態になり、3ヶ月か4ヶ月くらい不登校になりました。


その間、全く勉強してなかったので、高校3年に入って最初のテストでは文系クラスに200人くらいいる中での190位前後でした。

それまでのテストでは平均よりやや下くらいの順位を取り続けていたのでちょっとショックでした。


僕は自分の高校(の生徒)が嫌いでした。ていうか、友達があんまいなかった。

で、進学校だったことから、例年生徒のかなりの割合が地元の有名国立大学に進学することは分かっていたので、「せっかく大学まで行ってこの高校の生徒たちと同じキャンパスライフを4年間過ごすのは生き地獄だ」と恐怖し、絶対に他の大学、ていうか地元じゃない大学に行こうと決心してました。


しかし、家がまぁかなり貧乏だったので、

家から離れて大学で1人暮らしをするのはそうそう許されることはなく、地元の有名国立大学より上のレベルの公立大学に行かないと親が地元から外に出してくれないだろうなという考えが強くあったため、色々考えた結果大阪大学を目指すことにしました。


当然、200位中190位の学年順位では阪大には受からないので、引くくらい勉強しました。





・高校3年生中期〜後期

ボッチでクラスでほぼ誰も喋る人がいない状況が幸いし(?)休み時間もずっと勉強を続けるくらいぶっ続けで頑張った結果、1学期の終わりのテストでは200人中60位くらいまでいきました。


大体50位以内だと難関国立大学が射程距離に入るので、このまま頑張ったらなんとかイケそうだな、と思い、続けて勉強を頑張りました。



が。



10月にうつ症状が出てしまい、また不登校ライフが幕開けし、全く勉強できなくなりました。


そこから卒業するまでほぼずっと不登校で、

センター試験も受けず、私立大に入ることは経済的事情から当然許されなかったので、浪人が確定しました。

あの頃何してたんだろ?

確か、涼宮ハルヒの憂鬱とか見てた。全然アニメ興味なかったけどアレは面白かった。


で、卒業式の時、ちょうど軽躁状態で、クラスで卒業スピーチ的なやつを行う場面で、「こんなに学校行ってなかったのに卒業できるとか、なんかすみません」って言ったら相当ウケました。




・予備校時代初期

とりあえず予備校に入ったのですが、入学テストの結果が割と全然ダメで、中級クラスに入りました。もちろん、ほとんどの国立大学はE判定でした。

同じ高校の生徒で浪人した人たちはほぼ皆一番上のクラスに入ってました。


で、そっから猛勉強して、7月頃に受けた模試が結構結果良くて、京都大学C判定のところまで来たので、かなり調子こいて、

「このまま頑張れば俺東大でも京大でもイケるんじゃね?じゃね?」

とか家族に言いまくり、そんな甘くないわよとか母親に言われながらも、なんだかんだで京大を目指すことにしました。あの頃の俺、みなぎってたよね。



・予備校時代中期

で、カンの良い皆さんならお気づきのこと、9月にまたうつが発症して予備校に行かなくなりました。


今度は11月くらいまでうつでした。


それから回復したのですが、うつの期間勉強ゼロで当然京大とか目指せるような状態ではなかったので、違う大学を目指すことにしました。


で、結論から言うと、大阪大学の外国語学部を受験することに決めました。


理由はカンタン、

阪大の中では偏差値が低かったからです。


とにかく地元から出たかったので、そっからは頑張りました。





・浪人後期〜合格

勉強を続けながら、阪大外国語学部の情報を集めてたんですが、

インターネットを見ているとあるサイトにめぐりあいました。


それは、外国語学部生が、外国語学部のキャンパスライフを面白おかしく書いた記事をたくさん載せているブログでした。


スウェーデンシュールストレミングっていう世界一クサいニシンの缶詰をグラウンドで開けてみたり、その缶詰に草を植えて育ててみたり、草が枯れたりなど、とにかくしょうもないけど面白い内容の記事がいっぱい載ってるブログで、

それを見続けるうちに、外国語学部って面白い変わった人たちがたくさんいそうでなんかいいな、と思うようになりました(実際入学したら期待通り頭おかしいヤツらの巣窟でした)。


で、だんだん外国語学部に行きたい理由が単純に面白そう、に変わっていきました。


結局、中東の歴史が好きだったので中東言語の専攻語に入りたいと思うようになり、
アラビア語トルコ語、ペルシア語の中で一番入りやすいペルシア語を受験して、なんとか合格しました。








まぁ、特に今回は教訓的なことを述べるつもりはないのですが、

どの大学に入るか、って、結構考えないとダメかな、って今は思ってます。


最初は僕は地元から出たいとか、名前のある大学に行かないといけないとかそういう基準で大学選びをしてたのですが、

最終的には大学の学部の雰囲気が自分に合ってそう、面白そう、という気持ちから受験先を選びました。


双極性障害がかなり受験勉強を邪魔した感は否めないのですが、

今考えると、なんかのめぐり合わせ的なもので面白そうな学部に入れたのは良かったと思います。病気になって良かったとは全く思いませんが。



実際、大学時代はかなりハチャメチャで、

淀川で釣った汚くて臭い外来魚(ブルーギル)をいかに美味しく調理するかを試す、とか、

留学先でイランのゲイの人にガッツリ襲われたりとか、

色々ありました。


書けないことの方が多い……





僕は就活が恐ろしく全然ダメで、結果的に阪大の名前を全く生かせなかったのですが、

それでも、4年間、いや、留年して6年間が楽しかったので、外国語学部に入ったのは本当に良かったです。


就職のことを考えて大学選びをするのも良いけど、

4年間のキャンパスライフそのものも人生でとても大事な期間だと思うし、単に自分が楽しいと思えそうなところに入学するのも悪くない。そう思います。


個人的には、外国語学部は変なヤツがいっぱいいるので(?)オススメです(?)



では、とりとめなく書いてみましたが、

以上で特にオチもなく、終了です。ありがとうございました!

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