(ミスターふつうコンテストでもいいのですが。)
恐らくこれは変わった趣味だと言えるのですが、私は「ミス(ミスター)~」という言葉を作るのが好きです。
何を言っているのか分からないかもしれませんが、例えば、
ミスター温帯低気圧
ミス有休消化
ミスター定点カメラ
ミス生類憐みの令
などといったように、ミス(ミスター)に何か適当に文字をくっつけて造語を作るのが楽しくて、暇なときは結構考えています。
特に意味を考えながら作っている訳ではなく、語感で適当に組み合わせて、できたら「この組み合わせ、リズム的になんかいいなー」とか「適当に作ったけど、本当にこんなミスが存在するならどんな人なんだろう」とか思ったりして頭の中で遊んでいるのです。
さっきもこの遊びをしていたのですが、さっき「ミスふつう」ひいては「ミスふつうコンテスト」というのを思いついて、なんだか違和感を感じる、もし本当にこんな人が選ばれるコンテストがあったらどうなるんだろう、などと考えました。
違和感を感じた理由は「ミスふつうコンテスト」というコンテストの内容に逆説的なものを見出したからです。
容姿・性格・生い立ち・能力など、あらゆる選考基準において世界で最もふつうな女性を一人選ぶミスふつうコンテストですが、ミスふつうに選ばれるのは、選考に選考を重ねた結果選ばれる一人だけです。他の中途半端にふつうな応募者に比べ、「ふつう」さが際立っているためミスふつうに選ばれるのです。その人って、ふつうと言えるのでしょうか。
もし、ミスふつうコンテストを実現させるとするならば、「世界一ふつうな女性は一人だけ選ばれる」というルールを変えるべきだ、と考えてみました。つまり、1位(ミスふつう)になる人を複数人選ぶということです。
しかし、これでも選考が行われない訳ではなく、やはりある程度以上「ふつう」が際立っている人たちしか1位にはなれないという点でコンテスト自体に矛盾があります。
さらに、「『ふつう』の人全員をミスふつうにする」というパターンも考えられますが、これをするとミスふつうに選ばれない人と選ばれる人の二分化が生じます。
仮に世界でミスふつうに選ばれる人数の方が選ばれない人数より少ない場合、「選ばれない方がふつう」なので、選ばれない側の方がふつうの要素を得ることになります。また、ミスふつうに選ばれる人数の方が選ばれない人数より多い場合(あるいは全員がミスふつうに選ばれる場合)においては、そもそも世界の半分以上の女性が1位に選ばれる時点でコンテストとして成立しない気がします。
今日は変な話ですね(笑)
また、そもそもの話ですが、仮に「準ミスふつう」がいたとします。コンテストの趣旨からして、世界で2番目にふつうな女性だから準ミスに選ばれた訳ですが、この人が1位になれなかった理由は、ミスふつうに選ばれた人の方がふつうだったからです。ということは、そのコンテストの選考が厳正であればあるほど(出す順位をはっきりつけていればいるほど)、ミスふつうと準ミスふつうには決定的な違いがあったことになります。1位と2位でさえ決定的な違いがあるのに、世界中の女性たちの中で最もふつうな女性なんて割り出せるのでしょうか。
上記のように考えると、「ミス(ミスター)ふつうコンテストを行うのは不可能」という結論になりました。(コンテストとは呼べない、不完全な形でならできるかもしれませんが)
また余談とはなりますが、この「ふつう」を決めるコンテストですが、不完全な形でも、実行すれば必ず差別につながると思いました。「何がふつうかを基準化する」という作業は、その基準に合ってない人を「異常」と認定することにもなりますね。
私は「美少女コンテスト」とかそういうのがあまり好きでなくて、もちろん「不細工コンテスト」のようなものもどうかと思うのですが、「ふつうコンテスト」に近いことをやるのが実は最も悪なんじゃないかと考えました。
今回は以上です。ありがとうございました!