どうもほうふつです。風邪で2日死んでました。
今回は久しぶりに、日々思ったことの垂れ流しではなく、ちゃんとテーマを決めてそれに沿った話を進めていくというのをやりたいと思います!
テーマは「双極の僕の友だち付き合い」について。
よしこれでいこう!!
よく耳にするのが「双極のせいで友だちといさかいを起こすor疎遠になる→友だち減りまくり」というやつ。
悲しいよね……
そして、初っ端から気づいた。
僕、躁で友だち減ったことほぼない……
そんな痛手を負っていない人間に、この深遠なるテーマを語る資格があるのか。そこに気付いた。
まぁこれに関しては「実際もっと大変なことを自分は経験しているし、そんななまっちょろい人生で双極の人の友だち付き合いについて語られたらムカつきます」的な意見の人も出てくると思いますが、それはもう上には上がいるということを考えると誰も何も言えなくなるので無視無視!という姿勢でいかせてもらいますハイハイ(粗い)
まぁ、躁で失った経験、ある意味ないことはない。
躁で暴れてやらかし友だちを失ったことはないけど、躁で間接的に友だちが離れていったことは多々あったのである。
躁状態で話しかけまくって仲良くなったけど、躁じゃなくなってからこっちが冷めて疎遠になったパターンは結構あったんだ。
僕の場合、強めの躁だと結構誰とでも話せるというか、テンションのみで話し切ることができてしまうのですよ。
それは、大学の時多かった。やたら講義で隣になった人と仲良くなって、躁じゃなくなった途端「なんで俺はあの人たちにマシンガントーク仕掛けてたのだろう」と思ってその後道で会ってもほぼ他人状態というやつは、多々あった。
でも!今はこう思ってます。
「結局残らない奴ら」はそもそも自分の人生にとって大して重要ではない。
躁の勢いだけで仲良くなって後で冷めてから仲を保つ必要性を感じられなくなったくらいの相手は、そもそもそれから関係を保つ必要性がないと思ってます。
だって、「仲の良さを維持しないといけない!」って思うことは、努力じゃないですか。
僕は、友だちって努力して付き合うもんじゃないと思ってるんですよね。
で、これと同じようなことが「うつで疎遠になるパターン」でも言えると考えてます。
「うつで友だちと交流する機会が減り友だちなくした」という話はあると思うのですが、
僕は、うつで離れたくらいで二度と話さなくなる人は結果的には友だちじゃないということになると考えています。
結局自分にとって重要な人ではなかったから疎遠になったのだと。
なんとか仲の良さを維持しようと、うつの時でも頑張って人付き合いをしようとすることはあるかと思いますが、仲良くしようと努力しないといけないと思う時点でその相手は友だちではなかったということになると思ってます。
これは、色んな考え方があるのかな……
友だちの定義が僕と違う人は納得しないかもしれない。
ただ僕は、「結局残った奴が友だち」という持論があるので、以上のように考えているということですね。
そういう意味では、友だちかどうかは残るかどうかを確認するまで分からないという話になりますね。
つまり僕は、双極で交流を失った人は所詮それまでの関係で、本当の友だちとは結局「残る奴」である、と思ってます。
ただ、この考え方にはどうしても一つツッコミ所がある。
それは、「行かなければならないところで話し相手を失った場合の解決法」にはならないということである。
例えば、学校(行かなければならないとされるところ)をうつで休んで復帰した際、学校を離れていた期間に話し相手が全滅してしまい一人ぼっちになる時などに、この考え方をしましょうと言っても何の薬にもならない。
「うつ明けで復帰しても残った奴が結局友だちである」などと言っても、別に真の友だちが欲しいわけじゃなくて一人ぼっちになりたくないから一応話す相手が欲しいんだよ!というケースの人には何の助けにもならない。
ていうか、僕の高校時代がまさにほぼそうであった。
部活の友だちはいたけどそれ以外の人との交流は不登校中に全滅したので、登校してからホームルームまで誰とも話せず、「別に友だちじゃなくてもいいから誰か接してくれ……」という状況になっていたのである。
この問題に関しては、根深すぎるので、ここでは扱いません。扱えません。
今振り返ってみたら「あの高校時代に俺と話さなくなった奴らは全然友だちじゃなかったな」と思えるが、その最中にいる人たちには本当の友だちが自分の心にいればいいとか思う余裕はないのだよ。
ただ、大人になると「行かなければならない所」があまり無くなってくるので、双極で関係を失った相手はそのまま放置して他人になったらいいと考えてます。
ここまで書いてみて、色んな思いが浮かびました。
僕にはなんだかんだで、双極でこれまでにまぁまぁ人間関係破綻したとはいえ、Skype飲みしてギャーギャー話す友だちなど、います。残ってます(残ってない奴らが中国のプラスチックごみの山のようにいるが)。
でも、双極のせいで交流を絶たれ、完全に一人ぼっちになってしまっている人がいるとしたら。
少しでも友だちと呼べる人がいればいいのかもしれませんが、自分が友だち関係でいうと孤独に近いと悩んでいる人にとってはさすがに僕が今回述べたことは甘っちょろい考え方なのかもしれませんね……
まぁでも、一人でも楽しい人とかいるし、その辺を詮索し過ぎるのは無駄かもなという気はする。
ちなみに僕は基本的に毎日家族以外とほぼ喋らない生活を送っていますが、会おうと思えば会える人はいるし、ネットなどを通じて話す相手もいます。
ただ、人数的に友が多いのかどうかは知らんな〜10人もいないのでは?僕の友だちの敷居が高すぎるのかもしれんが。
まぁ、何はともあれ、
双極で失った関係は振り返らず、残ったスバラシキ奴らを大事にすれば良いのだ!と常々考えてますという話でした〜 おわり!!