双極バラエティ

こんにちは。双極性障害Ⅱ型の33歳男が日常をくだらないテイストで綴っていくブログです。

平和の谷

平和の谷というところが、イラクにあります。

 

 

写真は、フリーのやつかどうか分かりませんがまあ大丈夫でしょう。

 

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平和の谷があるナジャフという都市。イスラームシーア派の人たちにとって、そこは聖地です。

 

あんまり詳しく書くと読者の負担的にアレなので簡潔に済ませますが、

 

かつてイスラーム教にスンナ派シーア派もなかった時代、シーア派というものを事実上作ったことになるアリーという人物が埋葬されているとされるのが、このナジャフなのです。

 

 

シーア派では、イスラーム教を作ったムハンマドとともに、アリーは崇拝されています。(アッラーはちょっとまた別次元で特別なんです。)

 

 

まあ、偶像崇拝を禁止しているイスラーム教徒が「人間」を崇拝するのは本来禁忌かもしれませんが、僕が数か月間住んでいたイラン(シーア派が国民の9割を占める)では、ほぼ完全にアリーは崇拝の対象でした。

 

 

ちなみに、アラビア語を専攻している友達は「スンナ派はアリーを信仰してない」と言っていました。

僕は大学がペルシア語専攻で、イランとシーア派のことを中心に勉強していたのでその辺の派間のデリケートな部分はあんまりよく分かってなかったりします。

 

 

 

 

 

 

 

さて、このナジャフの中にある平和の谷は、世界最大の墓地とされているそうです。

 

自分が死んだら、アリーが埋葬されているこの地に遺骸を埋めて欲しい、というシーア派の人たちが絶えず、毎日毎日死者の埋葬が行われているとのこと。

 

 

 

 

 

僕は無宗教者で、アリーと同じところで死にたいという彼らの気持ちは全く分かりません。

 

しかし、自分が信じている宗教や、宗教上で偉大とされる人たちのことをひたむきに愛し、まっすぐに生きる彼らは、なんて美しいのだろうと思っています。

 

 

 

 

 

ただし、まっすぐに生きている人は、です。

 

 

 

 

 

イラクの長く続く内戦を終わらせることのできない国内の武力勢力の人たち。

 

そしてもっと言ってしまえば、その軍事を陰で操るアメリカやロシアの政府。まあたぶんイランやほかの中東国家の政府の人たちも。

 

 

宗教にまっすぐに生きている人たちを無用に殺しています。

 

 

 

あの世に行っても、生きている間にアッラーを信仰していれば、イスラーム教の戒律をちゃんと守っていれば、天国で幸せに暮らせる。

 

そして、聖地においてアリーと同じ場所に埋葬されれば、なおよい。

 

そういうふうにひたむきに考え、無垢に生きる人たちが、「戦争によって」殺されている。

 

 

 

 

 

 

僕はこう思います。

 

たとえ彼らが死んで天国に行けるとしても、彼らはいつでも死ねるわけではない、死にたいわけではない、と。

 

こう言ったらまずいかもしれませんが、やはり「生きてこそ」というのはあると思うのです。

 

 

 

平和の谷には、イラクでISIL(Islamic State in Iraq and the Levant)が占領を始めて以来、それまでよりもっと多くの人たちの遺体が運び込まれ、埋葬されているそうです。

 

平和の谷に埋められるのがよいとされているからって、そこに埋められる人数がどんどん多くなることって、異常だと僕は思います。

 

 

ひたむきにまっすぐに生きているシーア派の民が、そうでない人たちのためにどんどん死んでいくこの状況は、異常です。

 

 

 

 

 

イラクだけではなく、世界中で死ななくていい人たちがどんどん死んでいるのは分かっています。

 

でも、大学でイスラーム教について多少学んでいた僕からすると、シーア派、あるいはイスラーム教徒というのは身近に感じられる存在であり、僕にとって実体的です。だから、彼らの死については、えこひいきになるかもしれませんが、よく考えるのです。

 

 

いつか平和の谷が、望まない死を遂げた人たちに対するせめてもの安置場所、というものでなく、まっすぐに生をまっとうした人たちにとって死後の平和を与えてくれる場所になればいいと思います。

 

 

それが、本来的な意味での平和の谷なのではないでしょうか。

 

 

 

ほうふつ拝

 

 

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