そういえば、先週の金曜日にボヘミアン・ラプソディの映画見ました。
あんまり話すとネタバレになっちゃうけど、
単純に、フレディ・マーキュリーってすごいなと。
何がすごいかって、色々すごいんだけど、僕は彼の個性がすごいと思いました。
めちゃくちゃユニークな服装、独特の作曲、そして歌。
確かに技術がすごいのは当然なんだけど、その元となるエネルギッシュな何か、すなわち個性、が彼の全ての行動にあふれ出ている、そんな気がしました。
僕は、隠しきれない、あるいは隠そうともしない程個性が強い人が大好きです。
時代や世の中の常識を超えて、ほとばしる個性を持ち行動している人を見ていると、自分の存在が、個性が、「許される」気がするのです。
全然違う映画ですが、「ロッキー・ホラー・ショー」を初めて見たときにも似た感覚をおぼえました。
とにかく、一人ひとりの個が強い。
ストーリーなんてぐちゃぐちゃで全くつじつまが合わない映画なんですが、何だろうな。僕は「許されていいんだ」と思わされたのです。
この「許される」という感覚、自分でもとらえようがない抽象的なものなんですが、他にもそう感じる人いるのかな。
多分こういうふうに思うのは、僕自身が、世の中にまぎれることができない人生を送ってきたと自認しているからだと思います。
特に高校に入ったくらいから、とにかく人に合わせようとするんだけど、ダメで、どうしても浮いてしまう人間だと自分で思ってました。
それは服装や髪型、そして言動に関してですね。
大学に入ってからは色んな人がいて面白かったけど、それでも「こんなに世の中に溶け込めない人が存在していいのかな」と思うことがよくありました。
例えば、友達が楽しんでいることを一緒にやっても全然楽しめないから、とりあえず周りに合わせて楽しいフリをしていたり、とかね。
そういう自分なんで、フレディ・マーキュリーやロッキー・ホラー・ショーの登場人物などが、ある種トリッキーとも言える、個性を爆発させそれを肯定している様子を見ると、「許される」気がするんだけど、この感覚、お分かりになるだろうか。
では、では、では!
See you later! (^^)