双極バラエティ

こんにちは。双極性障害Ⅱ型の33歳男が日常をくだらないテイストで綴っていくブログです。

大阪編2 シーシャの話

こんちわっすほうふつっす。

更新にだいぶ時間があいてしまいました。ごめ。

三日間の旅行の最終日について書きたいと思います。


まず、神戸にある友達の家に泊めさせてもらった後、大阪へ向かう電車に乗ってから数十分後にメガネを家に忘れてきたのですね。前にも書いたけど。


あんまり詳しく書かない方がいいのかもしれませんが、その友達、奥さんが外交官で、数日後に仕事休職して何年かエジプトに住むことになってまして。


つまり、めっちゃくちゃ忙しい時だったんだよね。


で、メガネを忘れたことでわざわざうちの家まで送ってくれることになったのさ。


自分が情けなさ過ぎて……ほうふつちゃんつらたん。


いや、実際は引き返して取りに行くこともできたんですよ。


ただし、僕にはその後の予定があったんで、正直戻りたくなかったのです。





その予定とは、水たばこ(シーシャ)カフェで思う存分にシーシャを吸うことだったのだ!



めちゃ利己的な理由。しかししゃあない。いや、しゃあなくはないか。



ていうか、実は前の日もそのカフェに行ってるんだけど、その時はちょっとしか吸えなかったので、本丸は大阪最終日だったのですよ。





で、行ってまいりました、シーシャカフェ!



本当はめちゃくちゃこだわっている店の内装とか水たばこの画像とか載せたいんですが、さすがに特定される可能性が高いので載せられず。あしからず。



たばこがすえるカフェ、というと陰鬱で暗い照明の入りにくい雰囲気を想像されるかもしれませんが、僕の行きつけのお店は壁が真っ白のしっくいで塗られており、照明も明るくソファ席もあったりしてリラックスできる空間です。


で、満足しましたね。






いや、満足しましたじゃ終われねーよな。

しかし、特に書くこともないので。


今回は大阪旅行から外れて、僕のシーシャとの出会いの話でもしますか。






まず、僕は大阪大の外国語学部ペルシア語専攻出身なのですが、

大学2年生のとき、1ヶ月間の語学研修のためイランに旅行してました。


エスファハーンという都市に滞在しているときでした、シーシャを初めて吸ったのは。

エスファハーンというところは、17世紀初頭、当時サファヴィー朝という王朝の時代に首都として栄えた場所です。

アッバース1世という王のときに最盛期を迎え、世界中からたくさんの富や物品がその都市に集まったことから、エスファハーンは「世界の半分」とまで言われるようになったんだよね。


そんな世界の半分、ペルシア語で言うとネスフェジャハーンという場所のちょっと高級なホテルで夜、他の日本人の友達とうろうろしてたら、ロビーにシーシャを吸っているホテルの従業員さんがいたんです。


仲良くなって、吸わせてあげるよ!と言われたので皆でまわしまわし吸ってみました。



その時、日本人の友達は10人くらいいたんだけど、僕だけめちゃくちゃハマったんだよね。


その時は確かオレンジ味だった気がします。



でも、ちょっと味が薄くてよくわかんなかったんだ。


すると、その従業員が「違うのも吸わせたるわ」ということを言い出して、僕一人だけのこのこその人についていくと、もう一つシーシャがありまして。


これが、バチバチに濃厚でうまかった。


忘れもしない、あれはレモン味だった。





そこからです。僕がシーシャに傾倒したのは。



日本に帰ってもたばこを取り寄せて、イランで買った自分用の喫煙具で大学の寮で吸ってたな。懐かしい。




そんなこんなで今もハマってるんです。



当時からすると僕のシーシャをおいしく作る技術は格段に上がったけど、それでもちゃんとしたお店で提供されるシーシャには到底かないません。


だからこそ、大阪にわざわざ旅行に行ってまでお店で吸うことがあるのです。



一応シーシャはタールが水に溶けるので発がん性物質は極めて少量しか吸わないことになると言われてますが、

そんなことは正しく立証されてないし、そもそも一酸化炭素は軽く吸っているはずなので体には良くないはずです。


だから、僕もいつかやめる時が来るのかな〜とは思ってます。


しかし、それはちょっと先になるかな。笑 好きだし。笑



ということで、シーシャ談議でした。


ちなみに、ペルシア語ではシーシャのことをゲリユーン、トルコ語ではナルギレと言います。また、
フーカと呼んでいる人もいます。


このシーシャというものに関しては本当に語りたいことがいっぱいあるんだけど、さすがにね。このブログは双極性障害ブログですからね!(←久しぶりに言ってみた)



ではではあでゅー!