こんにちは。ほうふつです。
私は、言葉と言葉を適当に組み合わせて造語を作る癖がありまして。
例えば、以前に記事で書いた「ミスふつうコンテスト」もその一つです。
よく、「ミスター」「ミス」+何か、で造語を作るんですよね。たとえば、「ミス書初め」とかね。意味は特にないです。
さて、大概は言葉のノリとかなんとなくの雰囲気で自分が作った言葉に満足して終わるのですが、何日か前に、「これは」と思うものがあり、ぜひ皆さんにご紹介したいと思いこうして筆をとっているのであります。
その造語とは、「生ける生き字引」です。
「は?」って思いますよね。何じゃそりゃと。日本語のルールを忘却してしまったのかと。
分かる。分かるよその気持ち。
でも、今からちゃんと解説するんで、すぐにでもこのページを去りたい気持ちをぐっとこらえてね。
きっと面白いから。大勢のニーズは知らんけど、一部の物好きな人にはたまらん内容になる予定だから。今日はあんたのような物好きにピント合わせてきてるからね。
さて、この「生ける生き字引」っていう言葉なんですけど、意味が重複してますよね。
まず、「生き字引」っていうのは、「何でもよく知っている人」のことを指します。
(生き字引とは - 「生き字引」の意味ならWeblio辞書)
その人に聞けば何でも分かる、まるで生きている辞典のような物知りの人を指しますね。
なのに、「生ける」を「生き」の前にあえてつけるというね。むちゃくちゃやないかと。「生ける」は「しかばね」の専売特許じゃ、と。
はいはい、速攻で僕のツイッターをブロックしたくなる気持ちは分かりますが、そこはぐっとこらえてください。むしろブロックするためにフォローしたい衝動に駆られるのは分かるけどそれはやめましょう。むやみなブロックは、無性の悲しみしか生みません。
さて、個人的には、何気に「無性の悲しみ」も造語として議論をかもす価値あるのでは?と思いそっちにシフトしたい気がしてきたのですが。今回は僕にとってもガマンの回ですから。お互い目をつぶろうね、大人だからね。
...で「生ける生き字引」なんですが。
これは、「頭痛が痛い」と同じような感じだと思うのですよ。
「頭痛」の時点で伝えたいことは完成しているのに、あえて「痛い」をその後に付けるという、無駄な表現、そして日本語として間違った表現に思えるのです。
しかし、今回はあえて、この「生ける生き字引」という造語が成立する場合というのもあるのではないかと思い、いくつか使用できる可能性を秘めたケースを考えましたので、ご紹介いたします。僕の詭弁術を惜しみなく発揮します。
ケース1:「花の名前が『生き字引』」
お花の名前が「生き字引」なんですね。もちろんそんな花の正式名称はないので、ニックネームな訳です。この名前をつけた人は、ちょっとユニークが過ぎる方なんでしょうね。
何故これが成立しうるかというと、「生き字引」が花の名前だった場合、「生ける」が「生きている」という意味から、生け花の時に使われる「生ける」の意味にかわるからです。
生ける用の、「生き字引」というお花なんだね。
ということは、「生ける生き字引」の花と「生けない生き字引」の花が、きっとあるんだろうね。
生き字引系統の花にも種類や格、元気具合があるのかも。それを生けるかどうかは、花道家の判断に委ねられているのです。花屋さんで生ける生き字引の花を購入したい際は、「これって生けること可能なやつですか?」ってちゃんと店員さんに聞かないと、間違って生けられない用の方を買っちゃうかもしれないから要注意だよ。
はい、次生きましょう。
ケース2:「人の名前が生き字引」
つまり、「佐藤生き字引さん」みたいな人が存在するパターンね。
これ、絶対子どものころいじめられるよね。
単純にほら、少し珍しいお名前の方だと思うし。キラキラネームも裸足で逃げ出すじゃないですか。
大人になっても、「お前、生き字引っていう名前のくせに全然ものを知らねえなw」とか上司にいじられがちだと思うの。そういう上司、周りに一人はいるからね。何回も言われるから。もう人生で何回も言われてるんで、恐らく愛想笑いが得意な大人に育ちます。
で、その佐藤さんが生きている間は、その人のことを「生ける生き字引」だと呼べないこともないじゃないですか。このパターンもありっちゃありだよね。
もちろん、亡くなったら「死せる佐藤生き字引」と呼ぶことが可能です。もし、生前に佐藤さんが墓碑とか作られるくらいの偉人であった場合、その墓碑には「佐藤生き字引、ここに眠る」っていう字が彫られるでしょうね。生きてるのか死んでるのか眠ってるだけなのか何なのか、もう、見た人はパニック状態だよね。
はい。次が最後のケースになります。
ケース3:「戒名が生き字引」
お坊さん「えー、本日はほうふつさんの葬式にお集まり頂きありがとうございます。
生前は、持前の知ったかぶりで双極性障害のブログを書き、たびたび卑小な自己満足に浸るという充実した日々を過ごされていたとのことです。
また、そのブログ『双極バラエティ』は、終盤にはもはや双極性障害のネタがなくなりつつあり、自作の音楽を載せたりするなどごまかしごまかしの営みを続けていました。
終生、『俺は自称インテリだ』というアピールと見られる発言も多くしており、誰一人としてその考えに賛同する者はいなかった訳ですが、死後くらい彼の好きなように呼ばせてやろうと思いほうふつさんに『生き字引』の戒名を与えることとしました。それでは本日のメインイベント、読経を聞いて下さ...」
(棺の内側から大声)ほうふつ「俺!まだ生きてるよ!」
みんな「なんだ~生ける生き字引じゃ~ん」
...さて、今回の茶番、いかがでしたでしょうか。
今この場で、今回の詭弁内容にあなたが凍り付いていないことを祈ります。
他の「生ける生き字引」の使いどころを思いついたら、コメント欄にでも書いてくれていいからね!そんな奴いないと思うけど!
あと、久々に宣伝なんですが、ツイッターもやってるんで、万が一興味がございましたらフォローしてみて下さい。ツイッターの方が変なこと言ってると思います。「ローマ法王ってTシャツ着るのかな」とかね。
また、今回の同系統の記事として、以下の記事があります。今回のがハマった方は、これを見てみてもいいかもしれません。
soukyokuvariety.hatenablog.com
以上です!読んで頂きありがとうございました!