双極バラエティ

こんにちは。双極性障害Ⅱ型の33歳男が日常をくだらないテイストで綴っていくブログです。

目標の人は必要なの?

前職で派遣先の上司から言われてかなり嫌だったことの一つに、「色んな人のビジネス書を読んで目標にする人を決め、その人を目指して努力すべき」というのがあります。

この発言を受けて私は直感的に「おいおい勘弁してくれや…」と思ったのですが、当時何故そう思ったのか自分でもあまり良く分からなかったので、今になってその理由を考えてみました。



まず、私はビジネス書(この場では、なんらかの目的のために成長する方法が載っている本、と定義し、自己啓発書も同義とします)が嫌いではありません。理由は、読んでいて楽しいものも結構あるからです。

20代前半の頃には株とか英語とかお金持ちになる方法とかのビジネス書にハマっており、バイトの面接で見せる履歴書に「趣味:自己啓発書を読むこと」と書いたのを覚えています。(なんか怒られました。)

ただし、私にとってあくまでビジネス書は楽しんで読むもので、興味がない分野のビジネス書を読みたいとは思いません。そして、仕事の効率化アップとかビジネスマナー向上とか、プレゼンの方法とかには全く興味がありません。派遣先の上司が言った「ビジネス書」とは、その時の話の流れ的にそういった分野のものだったので、興味のないことを勧められた気がして嫌な気分になったのですね。


これだけでも結構嫌だったのですが、(ビジネス書を読んで)「目標にする人を決めてその人を目指して努力すべき」というのが、極めつけの拒否反応を起こすセンテンスでした。

当時の話の流れでは業務効率化とか、仕事の分野のビジネス書を読んで目標となる人を決めるのが良い、ということだったのですが、これは「順番がおかしいのでは?」と思います。


自分が仕事の分野で成長したいことがある→目標となる人を探してその人を目指し努力する


なら分かるのですが、逆に、目標となる人を決めてその人みたいになることが目的になっている訳ですよね。つまり、目的に実体はないのです。なのに、その実体のないものの達成に向けて何かを頑張らないといけないというのです。



なんだろうな。目標となる人を決めることって、そんな大事なものなのでしょうか。やりたいことがなくても目標の人はいないといけない、っていうくらいに必要なものなのでしょうか。


感覚的な結論となるのですが、実体のない目的の達成のために誰だかを目指して頑張り、心身が疲弊していく人が少なからずいるとしたら、なんだか変な世の中だなと思うのです。